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77年にデヴィッド・シルヴィアン(vo&g)を中心に結成。日本では78年にアルバム『果てしなき反抗』でデビューを飾った瞬間から、異様なほど熱狂的に迎えられた5人組(後にひとり脱退)だ。しかし、一分の隙もなく施されたメイクアップと両性具有でグラマラスな風貌、退廃的な詞世界、ねっとりとしたリズムセクションを中心に据えたファンキーなロックンロール・ナンバー(当時のJAPANサウンドは、モータウンを筆頭とする黒人音楽への憧憬が露骨だった)の数々は、パンク・ロック全盛の当時のイギリスにおいて、その存在をほぼ黙殺されていた。なにしろチャートにかすりもしなかったほどだから。
彼らが正当な評価を受け始めたのは、79年に発表した3rdアルバム『クワイエット・ライフ』からだろう。ここで彼らはロキシー・ミュージックとの仕事で有名なジョン・パンターをプロデューサーに迎え、欧州流ロマンティックを携えながら、ダンサブルな要素も加えていく。それは続いて発表されたシングル「ヨーロピアン・サン」「ライフ・イン・トウキョウ」といった"元祖・エレポップナンバー"に顕著だ。
以降、『孤独な影』(80年)『錻力の太鼓』(81年)といった作品で、先鋭的なエレクトロニック感覚とファンキーなリズムを合体させつつ、複雑なアンサンブルを確実に掌握。特に『錻力〜』では東洋イメージの大胆な解釈とデカダンな超個人主義思想が、耽美嗜好ファンの心の琴線をかき鳴らした。
82年のワールドツアー(日本からギターで土屋昌巳も参加)を最後に解散したが、91年にシルヴィアン+ミック・カーン(b)+スティーヴ・ジャンセン(dr)+リチャード・バルビエリ(key)のオリジナル・メンバーで、レイン・トゥリー・クロウとして事実上の再結成を果たしている。
グループ名通り、日本のアーティスト(坂本龍一、高橋幸宏など)とも交流が深く、度々来日も果たしていた彼ら——未だJAPANが日本のリスナーにとって、ちょっと特異な位置に存在する、思い入れの深いグループであることは間違いない。