Dr. Dre vs Eazy-Eは嘘だった!? エミネムがアンサーできなかったビーフとは? 『HIP HOPリリック語りBAR』第1回後編
総合カルチャーサイト・リアルサウンドのYouTubeチャンネルでは、新番組『HIP HOPリリック語りBAR』がスタート。ヒップ…
ギャングスタ・ラップ・グループの草分け的存在、N.W.A.のリーダーであるイージー・E。彼は元ヤクの売人でもあり、それによって儲けたカネでレーベル<RUTHLESS>を設立する。そして、ソロ・デビュー作『イージー・ダズ・イット』(88年)や『ストレート・オフ・ザ・ストリーツ・オブ・マザファッキン・コンプトン』(95年)を発表。——軽めの声質ではあるが、淡々とした口調によってどこか冷たい雰囲気を醸し、危険な香りすら漂わせる。他人を平気でけなしてしまう過激なリリックも、そう感じさせる要因のひとつだ。それらは、乾いたファンク・テイストのサウンドをバックに展開され、黒さと不穏な空気が同居した極上の楽曲をディスプレイしている。
また<RUTHLESS>からはドクター・ドレー(後にビーフ関係になってしまったが)やボーン・サグスン・ハーモニーらをヒットさせ、敏腕なプロデューサー/実業家っぷりも広くアピールした。しかし、95年、イージー・Eはエイズが原因で突然の死を迎えることに。多くの人が彼の死を悼んだ。
急逝後10年経った05年現在でも、彼は偉大なウェッサイ・レジェンドとして多くの人から敬われている。
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