『魔法少女まどか☆マギカ』の願いを読み直す 少女たちは“選べる”からこそ“選ばされている”

2011年に放送された全12話のオリジナルテレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(以下、『まどマギ』)は、「魔法少女になる代わりに、どんな願いでも一つだけ叶える」という契約を物語の出発点に置いた。
8月28日には、完全新作となる『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』が公開された。2013年公開の『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』から続く物語として注目を集める本作を前に、改めて考えてみたいのが、少女たちはどのような条件のもとで、自分の願いを選んだのかという問題だ。

『まどマギ』を語るうえで「願い」は避けて通れない。『まどマギ』のおもしろさは、魔法少女になった後にどんな魔法を使えるのかだけにあるのではない。魔法少女になるために、少女自身が「何を願うのか」を決める。その願いによって現実が変わり、少女自身もまた、その結果と向き合うことになる。
ここで考えたいのが、少女たちは自分の願いを本当に「自分で選んでいるのか」という点。願いを決めるのは確かに少女自身である。しかし、その選択はどのような条件のもとで行われているのかまで考えると、見え方は変わってくる。『まどマギ』では、「何を願うか」という選択と、その願いを叶えるための「契約」が切り離せないものとして描かれている。
「何を願うか」から始まる魔法少女の物語

『まどマギ』でまず目を引くのは、「魔法を手に入れたら何ができるのか」よりも「魔法を手に入れるために何を願うのか」が物語の中心に置かれていることだ。そこに登場するのが、少女たちを魔法少女へと導くキュゥべえである。白い小動物のような姿をしたキュゥべえは少女たちの前に現れ、「僕と契約して、魔法少女になってよ」と持ちかける。その契約によって少女は魔法少女となり、代わりにどんな願いでも一つだけ叶えてもらうことができる。何を願うかを決めるのは少女自身だ。
第2話では、巴マミが鹿目まどかと美樹さやかに魔法少女について説明する。二人はマミとともに魔女と戦う中で、自分たちも魔法少女になる可能性を考えていく。第3話では、さやかがまだ自分の願いを決められていないことが描かれ、さやかは自分のためではなく誰かのために願うことについてマミに尋ねる。
ここで「自分の願い」と「他人のための願い」が簡単には切り分けられない問題が提示される。さやかの幼なじみである上条恭介は、事故によってバイオリンを弾く手を失っている。さやかは恭介の手を治すことを願い、魔法少女になる。第5話では恭介の手が治り、再びバイオリンを弾けるようになる。さやかが願った奇跡は、確かに目の前の大切な人を救った。しかし、恭介の手が治ったことと、さやか自身が望んだ人生を手に入れることは同じではない。

さやかには恭介への恋愛感情がある。「恭介を助けたい」という思いと、「恭介に自分を見てほしい」という思いを完全に切り離すことはできないため、恭介に元気になってほしいという願いの中には、恭介と一緒にいたいという願望も含まれている。だからといって、さやかの願いを「本当は自分のためだった」と片づけることもできない。誰かの幸福を願うことと、自分自身の幸福を願うことは必ずしも対立しないからだ。恋愛感情や献身、自己否定、嫉妬といった感情が重なったところに、さやかの願いがある。さやかは、その複雑な感情を抱えたまま一つの願いを選んだ。ここで問題になるのは、その願いが正しかったかどうかではなく、その願いを選んだ時点で、さやかがその先に何が待っているのかをどこまで知っていたのかということだ。
「自分で選ぶ」ための情報は与えられていたのか

ここで「願いを自分で選んだ」という事実と、「自由な条件のもとで選んだ」ということを分けて考える必要がある。キュゥべえが少女たちに提示する条件は単純明快だ。願いを一つ叶える代わりに魔法少女になる。まどかもさやかも、この条件を前にして自分が何を願うのかを考える。
ただし願いを決める主体が少女自身だからといって、契約の意味がすべて最初から明かされているわけではない。第6話で、そのことが決定的になる。暁美ほむらによってソウルジェムを遠くへ投げ捨てられたとき、さやかの身体は突然動かなくなる。ソウルジェムから離れたことで、身体そのものが動けなくなったのだ。ここで明らかになるのは、魔法少女の「本体」が肉体ではないという事実である。契約した時点で少女の魂はソウルジェムへと移されている。肉体は魂を収める「器」にすぎない。魔法少女になるということは、単に魔法を使える身体を手に入れることではなかった。
さらに物語が進むと、ソウルジェムには穢れが蓄積していくことが分かる。第8話ではソウルジェムが穢れによって濁っていく過程が描かれ、第9話では魔法少女と魔女の関係が明らかになる。魔法少女と魔女は最初から別々の存在ではなく、魔法少女として戦い続けた先で、少女自身が魔女になるのだと。
重要なのは、キュゥべえは少女たちが聞いていないことについて説明する必要はないという態度を取っており、契約するかどうかを判断するために重大な情報が、最初から十分に提示されていないことにある。もし契約する前に、「あなたの魂はソウルジェムに移される」「肉体は魂の器になる」「ソウルジェムは穢れていく」「その先ではあなた自身が魔女になる」と説明されていたら、少女たちは同じ願いを選んだだろうか。少なくとも、選択によって何を引き受けることになるのかを知ったうえで判断することはできるだろう。
『まどマギ』において少女たちは、願いを決めることも、契約することも、自分の意思で行っている。だからこそ、選ばされている。選択肢が与えられていることと、自由に選べることは同じではないのだ。
願いが叶った後も、選択は続いていく

さらに重要なのは、願いが叶った時点で選択が終わるわけではないことだ。さやかの願いによって恭介の手は治った。しかし、その後に待っていたのは願いを叶える前には存在しなかった現実だった。恭介との関係、自分が魔法少女になった事実、ソウルジェムの穢れ。そして、自分が何のために願ったのかという葛藤。願いによって変化した現実を生きるのは、願いを選んだ本人である。
この構造を別の形で示すのが、ほむらだ。ほむらが魔法少女になったときに願ったのは、まどかを救うことだった。その願いによって時間を巻き戻す力を得たほむらは、まどかが魔法少女になる未来を変えるために同じ時間を繰り返していく。第10話で描かれるのは、その繰り返しによってほむら自身が変わっていく過程だ。「最初の」ほむらは、まどかに守られる側だったが、何度も時間を繰り返すうちに戦う側へと変わっていく。「まどかを救う」という願いは一度叶えて終わるものではなく、その願いを選んだ結果として、ほむらは次々と新しい選択を迫られる。願いはゴールではなく、願いによって変化した世界をその後どう生きるのかという問題へつながっていく。




















