クリストファー・ノーランはなぜ古典的な英雄譚に挑戦した? 『オデュッセイア』にみた変化

クリストファー・ノーラン監督の最新作『オデュッセイア』は、古代ギリシャの著名な叙事詩を映画化した作品である。これまで“時間”という要素を中心に、夢の世界や宇宙、戦場といったさまざまな舞台で、人間の認識や存在そのものを揺さぶろうとする題材を描いてきたノーランが、今回はオリジナルストーリーではなく、意外にもこの古典的な英雄譚に挑戦し、自身の歴代興行記録を塗り替えている。
果たして彼は、なぜこの題材を映画にし、多くの観客を呼び込むことに成功したのか。ここでは、壮大な神話的冒険を描くこの映画が、何を本当に描いているのかを考察しながら、その理由を解き明かしていきたい。
※本記事では、映画『オデュッセイア』のストーリーの核心に触れています
主人公は、ギリシャの島国イタケの王オデュッセウス(マット・デイモン)。トロイア戦争を終えた彼は故郷で待つ妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)と息子テレマコス(トム・ホランド)のもとへ帰るため、部下たちとともに航海を続けている。しかし、その旅路は容易なものではなかった。海神ポセイドンの怒りを買ったことで、さまざまな試練が彼らの行く手を阻む。短いはずの帰路は、年月をかけた長い旅へと変わっていくのである。
一方、イタケでは、夫の帰還を待ち続けるペネロペのもとに、彼女との結婚を望む男たちが集まり始める。その中心にいるのが、アンティノウス(ロバート・パティンソン)だ。父の不在のなかで成長したテレマコスは心を乱されながら、父親オデュッセウスを探し求める旅へと向かうのだった。
オデュッセウスの旅には、彼をことあるごとに導く女神アテナ(ゼンデイヤ)や、行く手を阻む存在となるカリュプソ(シャーリーズ・セロン)、魔女キルケ(サマンサ・モートン)ら、神話世界の人物たちも次々に登場し、さまざまに彼を悩ませ、脅威を与える。
原作となる『オデュッセイア』は、古代ギリシャの詩人ホメロスの作とされる長編叙事詩である。『イリアス』がトロイア戦争そのものを描くのに対し、『オデュッセイア』は、その戦争を終えた英雄オデュッセウスが故郷イタケへ帰還するまでの放浪と、彼を待つ家族の物語を描いている。怪物や神々との遭遇、海上での冒険など、後世の冒険譚にも大きな影響を与えた物語として知られ、映画化もされてきた。
ただし現在の研究では、『オデュッセイア』がどのように成立したのか、そしてそもそも「ホメロス」という人物が実在したのかについて、確定的なことは分かっていない。ホメロスは『イリアス』と『オデュッセイア』の作者として古代から伝えられてきた人物だが、生没年や出身地などについても確かな記録はない。
そして両作品は文字によって書き記される以前から存在した口承詩の伝統を背景に成立したと考えられており、古代ギリシャの吟遊詩人たちによって語り継がれてきた英雄物語が、その基盤になったとされる。ノーラン監督による本作の冒頭で、ラッパーのトラヴィス・スコットが登場し語り出すのは、『オデュッセイア』という物語が、吟遊詩人たちの声によって始まっていることを暗示させるものだ。
その意味で『オデュッセイア』は、単に古代の一人の作家が書いた冒険小説と考えるよりも、長い時間をかけて語り継がれてきた神話や英雄譚が、叙事詩として結晶化したものと見ることができる。そこに描かれる、戦争を終えた英雄が長い放浪の果てに故郷へ帰るという物語は、二千年以上の時を経た現在まで、さまざまなかたちで繰り返し語られてきたのである。























