『風、薫る』事実の“改変”はどこまで許される? 朝ドラの構造と重なる“皮肉な展開”に

『風、薫る』事実改変はどこまで許される?

 りん(見上愛)たちが頑張ったせいで看護婦養成所の存続が危うくなる。NHK連続テレビ小説『風、薫る』第11週「夕凪にそよぐ」(演出:佐々木善春)は皮肉な展開になった。

 りんと直美(上坂樹里)が内科に配属になった途端、心中未遂患者が担ぎ込まれた。生き残った遊女・夕凪ことセツ(村上穂乃佳)を助けようと、りんと直美は奮闘する。

 「廃娼運動」を記事にしている東京明光新報に協力を仰ぎに行ったりんは、新聞記事にしたいと言われて躊躇する。ことの次第を瑞穂屋で盗み聞きしていたシマケン(佐野晶哉)が勝手に記事にすると、世論は遊女の味方で、あこぎな遊郭は批判の的になる。この時代、市民にとって遊郭は見て見ぬふりの悪場所だったはずで、遊女をこきつかうような店で遊ぶのは粋じゃないと客が離れ、店が困ってセツを解放するという展開は極めておとぎ話的だ。ドラマのなかでもセツは、無理心中ではなく幼なじみとの悲恋に描かれ、それが同情を呼び好意的に見られる。悪く書かれなければ誰も迷惑はしないだろう。セツも「でもあの記事の中だけでも、一緒に死のうと思えるくらい好いた男と出会えたら、少しは救われるものさ」と問題視はしなかった。

 第11週でたっぷり描かれるのは、廃娼運動の詳細でも、本来のテーマの看護婦のことでもなく、シマケンの作家としての迷いだ。彼が書きたい小説は採用されないが、簡単な取材を元に、創作を交えて書いた遊女の悲恋は読者に好評で、遊女に対する世論をも刺激した。編集長・綿貫(小松和重)からも高評価。続きを書いたらさらに好評となる。辛口の友人・太一(林裕太)までが絶賛する。

 「新聞には、文字には、力がある」と信じるシマケン。自身の記事でそれを証明してみせたわけだが、あまりうれしくない。自分の本当に書きたいものは誰も振り向いてくれないからだ。こだわって書いたものは相手にされず、思い入れのないものがウケるのだからやりきれない。しかも、真実に創作を混ぜたものを大衆が信じ込むことが怖くなってしまう。「あれくらいの誇張は問題ない。名前も変え、嘘はついていない。社会に、遊郭の歪さを訴えることが肝要だ」と綿貫は言う。だが訴えたいことさえ伝われば、実在する人の真実は変えてしまっていいものだろうか。

 この問題は、朝ドラでも常に問われていることではないだろうか。実在の著名人をモデル、あるいはモチーフにしてドラマを作るにあたり、名前を変えて、誇張して、記録のない部分を想像で膨らませる。『風、薫る』もまさにそのやり方で作られている。『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる著、中央公論新社)を原案にして、大関和をりんのモチーフに、鈴木雅を直美のモチーフにしながら、史実通りではなく、アレンジがされている。とりわけ鈴木雅は出自がまるで違っている。鈴木は士族の家柄で、英語はしかるべき学校で学んでいた。直美は遊女の子でみなしご。英語はできるが育ててもらった教会にいた外国人から自然に学んだものだ。まったく違う。

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