『ちいかわ』が巨大“キャラコンテンツ”になった理由 漫画研究&キャラクター論から紐解く

『ちいかわ』を漫画研究&キャラ論から分析

キャラクター論的に見る『ちいかわ』の画期性

 公開14日間で興収50億円を超す空前の大ヒットになっている『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』(2026年)は、原作単行本8巻の「セイレーン編」をほぼ忠実に映像化したアニメーション映画である。

 『ちいかわ』(2020年〜)を評するもはやテンプレと化したコメントに、「そのかわいい絵柄とは裏腹のダークでシビアな世界観」「子ども向けとは思えない意味深で残酷なストーリー展開」といったものがある。そのテイストは、「食べる(殺す)/食べられる(殺される)」=生と死というテーマが露骨に描かれた今回の劇場版でも遺憾なく発揮されている。
ただ、『ちいかわ』や今回の劇場版の空前の社会現象に対して、似たような先行例がなかったわけでもない。例えば、「癒し」ブームを経た2000年代(ゼロ年代)に台頭した「ゆるキャラ」ブームや「kawaii」ブームのなかで、いわゆる「らしくない」(外見がかわいいキャラクターが毒を吐いたりシュールな言動をする)個性で人気を集めたキャラクターには「ふなっしー」や『ポプテピピック』(2014年〜)のポプ子などの例があるし、「かわいい絵柄と残酷な展開のギャップ」であれば、これも『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)など同時期のアニメで先例がある。また、ゆるキャラアニメの劇場版で言えば、コロナ禍に公開された『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』(2021年)なども話題となった。

 では、それらと今回の『ちいかわ』は何が違うのか。キャラクター論の視点から考えを巡らせてみたい。

キャラ/キャラクター概念で見る『ちいかわ』

 『ちいかわ』で特徴的なのは、登場するキャラクターのうち、「言葉を話す者」と「言葉を(ほとんど)話さない者」がかなりはっきり分かれていることだ。具体的には、ハチワレ、モモンガ、ラッコ、シーサーたちは前者であり、反対に、ちいかわ、うさぎ、くりまんじゅう、古本屋たちは後者である。

 しかも、その印象は、原作マンガの表現とアニメ版のそれではかなり異なる。マンガ版だとコマのなかで、吹き出しの外にもさまざまな台詞や心情の手書きの書き込みがあり、見た目上は全体がわちゃわちゃしていて、寡黙な感じをさほど受けないが、アニメ版では喋らないキャラクターたちは、よりはっきりと静かな印象を受ける。つまり、主人公のちいかわはやや例外として、ハチワレやラッコには明確な人格(アイデンティティ)を感じるのだが、くりまんじゅうや古本屋にはシンプルな喜怒哀楽以上の「内面」を想像することが難しい。

 『ちいかわ』におけるこのキャラクター表現の対照性は、ゼロ年代以降のマンガ表現論に大きな影響を及ぼしたマンガ評論家の伊藤剛による「キャラ」と「キャラクター」の区別をどうしても思い起こさせる。

 伊藤の定義によれば、「キャラ」とは、「多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待されることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの」(『テヅカ・イズ・デッド』NTT出版、95ページ)であり、それに対して「キャラクター」とは、その「「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」の表象として読むことができ、テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの」(同前、97ページ)とされる。すなわち、『ちいかわ』で言えば、さまざまな企業のタイアップで商品にラベリングされたり、グッズになっているちいかわたちのイメージ(図像)の一つひとつは「キャラ」(マンガ研究者・岩下朋世のさらに細かい区分では「キャラ図像」)、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』というひとつの物語のなかで人生(ハム生?)を送る(島二郎のカレーを食べたり、セイレーンと戦ったりする)固有の登場人物としてのちいかわは「キャラクター」である。

 よく知られるように、伊藤が2005年にこの2つの概念の区別を提案した背景には、当時、マンガやアニメをはじめとする日本のポップカルチャー(オタク文化)に、メディアミックスや二次創作(同人文化)といった新たな慣習が無視できないほど広範に浸透し、そこで制作・受容されているキャラクターのリアリティを従来のマンガ批評が正確に捉えきれていないという問題意識があった。したがって、この区別を現代のメディアによって再分類すると、たとえば原作マンガやアニメのなかで生きているちいかわは「キャラクター」、それに対して、単発のイラストやSNSやショート動画に登場するちいかわは「キャラ」(に近い)と言えるだろう。

 要するに、そう、『ちいかわ』に登場する多彩なキャラクターのうち、(主役のちいかわは除くとしても)よく喋る=固有の人格を強く感じさせるハチワレやラッコは「キャラクター」っぽく、ほぼまったく言葉を発しない=固有の人格を感じさせないくりまんじゅうや古本屋は、どちらかというと「キャラ」っぽい存在に見えるのだ(もちろん、あくまでも印象の上のことであり、厳密には区別できない)。

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