谷口悟朗×吉田玲子が語り合うオリジナルアニメの存在意義 “多様性”のために必要なこと

現在公開中の劇場アニメ『パリに咲くエトワール』は、第一次世界大戦前夜のパリという激動の時代を舞台に、「なぎなた」と「バレエ」という異色のモチーフを通じて二人の少女の夢と葛藤を描いたオリジナル長編アニメーションだ。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』『ONE PIECE FILM RED』などで知られる谷口悟朗監督と、『映画 聲の形』や『リズと青い鳥』などで繊細な心理描写を紡いできた脚本家・吉田玲子。初タッグとなる二人が、フジコ(當真あみ)と千鶴(嵐莉菜)の対照的なキャラクター造形や、徹底した時代考証に基づいた生活感の描き方、そしてオリジナルアニメーションが継承する日本アニメの未来について語り合った。(徳田要太)
吉田玲子の脚本には「セリフとト書きの間に情報がある」

——本作では谷口監督が原作も手がけられたとのことですが、お二人のアイデアはストーリーにどのように反映されているのでしょうか?
谷口悟朗(以下、谷口):企画当初は私と湯川淳プロデューサー中心で進めていたのですが、途中で行き詰まりを感じるところがあったんです。それで吉田さんに入っていただいて、吉田さんなりの要素を入れていただけませんか、と。
吉田玲子(以下、吉田):あらかじめ企画書やプロットがあるところに参加させていただいたので、そこに「自分だったらこういうほうが書きやすいな」という要素を入れさせていただきました。
谷口:メインキャラクターがフジコと千鶴の二人になったのも吉田さんが入ってからですよね。
吉田:二人の少女をメインとして立てたほうが、ドラマや関係性が作りやすいなというふうに思ったんです。一人の主役で引っ張っていくよりも二人のヒロインをそれぞれ追っていくほうが、自分的には描きやすいなと。二人の少女は対照的な個性にしたかったので、たとえばフジコは千鶴と比べて“他人のことを自分のことのように捉えられる”女の子として考えています。性格や行動、抱いている夢も違う二人が、互いを補い合いながらそれぞれの夢や時代との接し方を描くと構造が豊かになるような感じがしていました。
谷口:二人になってよかったのは、映画の尺の中でも構造が作りやすくなったこと、いわゆる三者関係の構造ですね。中心的な二人さえいれば、あとはシーンごとにさらに一人加わればそれで構造が出来上がるので、話も展開させやすくなりましたし、私も吉田さんの提案がいいのではないかと思いました。

——吉田さんの脚本を映像にするうえで意識していたことはありますか?
谷口:吉田さんの脚本にはセリフとト書きの間にも情報があるように感じるんです。それをどう拾い上げて映像にしていくかという点では作っていて面白かったですね。
——“セリフとト書きの間に情報がある”というと?
谷口:わかりやすいところでは、フジコの叔父・若林(尾上松也)が開いた日本料理レストランや、パサージュにある彼のギャラリーの「日本的」なるものがどう作られているのか、といったあたりですかね。これらは正確には「日本」の文化だけではなく、大きな意味での「アジア」的なものになっています。どういうかというと、たとえば若林という人間が初めてパリに来ていたとしたら、本当に「日本文化」だけで構築していた可能性があると思うんです。でも若林は以前から海外をふらふらしていたわけであって、そうすると“ヨーロッパでいうところの日本”というとこれくらいの認識だよねといった感覚がある程度わかっていたりする。そういったキャラクターの背景があちこちにちりばめられていて、それらを前提にデザインなどを作っていかないと成立しなくなってしまうといえばいいでしょうか。
吉田:ふとした表情や、セリフがない部分でのキャラクターの芝居や動きもすごく丁寧に描いていただきました。観ている方が登場人物の気持ちに感情移入できるポイントにもなっていると思います。

——「なぎなた」と「バレエ」というモチーフも一見意外な組み合わせなように思えるのですが、これはどのような経緯で生まれたのでしょうか?
谷口:実はなぎなたのほうは最初からあって、バレエのモチーフは吉田さんから入れていただきました。これは吉田さんに入っていただいた理由でもあるんですが、ヨーロッパ、特にフランスのパリを舞台にしたストーリーに合う華々しい題材となると、ややもするとアルセーヌ・ルパン的な方向になったりするんです。別方向の華が欲しいのに(笑)。そこに対して吉田さんから要素を加えていただくかたちになったので大変ありがたかったです。
吉田:華やかさが動きとして画面に映し出されるといいかなと思って提案しました。
谷口:途中で考証が入って、最初に組んでいたプランが組み直しになったりもしましたが……。当初はもっと「バレエ・リュス」のシーンがメインになる予定だったのですが、やはり考証を進めていくとどうしてもバレエの捉え方を変えていかざるを得ない部分が出てきたんです。
吉田:1年半から2年くらいかけて、なぎなた道場を見学するなどの取材を踏まえた考証を入れていただき、戦争の始まるタイミングといった時系列なども調整しながら作っていきました。

——時代考証をすごく慎重にやらなければならない作品だろうと感じていましたが、大戦期のパリで自給自足で生活する日本人の少女という設定にリアリティを持たせるうえでは、どのようなことを意識されましたか?
吉田:屋根裏部屋であるとか、下町に住んで周りに助けを借りながら生きている感じとか、その頃にパリの片隅で生きていた人たちの生活を意識するようにしていました。贅沢はしないし、カフェで働いてもいるという。
——フジコが皿洗いをするシーンでは「この時代はこういうふうに洗っていたんだな」と自然とわかるような、さりげないカットが描かれていると感じました。白土晴一さんの設定考証の効果もあると思いますが、フジコたちの生活感が自然と映像になっていたと思います。
谷口:おっしゃる通り、ディテールにこそ大事な情報があります。ストーリーの柱は吉田さんに組んでいただいたので、それをどう映像が装飾するかといえば、セリフやシチュエーションなどには出てこないディテールをどう拾い上げるのかというのがこの手の作品の大事なことです。
“アニメ業界に必要”だった『パリに咲くエトワール』

——本作にはある程度の戦争描写がありますが、それが前面に出てくるわけではなく絶妙な距離感を保っていたと思います。
谷口:まず“戦争アニメ”ではないということは言っておきたいと思います。戦争アニメは戦争という状況を大前提としたうえで物語を描くものですが、そうしたかたちで届けるつもりはありません。主として描きたいのは、社会状況が変わったことによって彼女たちの置かれている状況や取る行動も少しずつ変わってくるということであって、戦争もあくまで社会状況のひとつとして捉えています。また結果的にはフジコと千鶴に、ある種の制限時間を設けやすくなったのではないかとも思います。
——フジコも戦争や経済的理由といったことに翻弄されながらも、絵を描くのに自信をなくしてしまう場面では彼女自身のすごく個人的な悩みが大きく取り上げられていました。
吉田:現実の世界を舞台にしているので、現実で起こった出来事や社会の風潮は描く必要があるとは感じていました。10代とはいえ社会状況の影響を受けて生きていくということを描かないと、この時代設定を選んだ意味がないので。フジコに関しては、夢を掴むために何かをやろうと思ったときにどうしてもそこに届かないという、千鶴とは違う悩みを描くことを意識しました。千鶴は技術的なことで悩み、フジコは自分自身をどう表現するかという根本的な部分で悩むというふうに対比させることで、2人が同じく夢を目指していても違う悩みを持っているんだということを示せていたらと思います。

——千鶴については、「東洋人の私はバレリーナにはなれないのでしょうか?」と、人種差別的な問題も孕む葛藤が描かれていました。ただこれも人種差別を克服対象として描くよりは、日本やロシア、フランスそれぞれの価値観が互いを補いながら新たな価値観を生んでいるような展開に感じました。
吉田:そういうふうに受け取っていただけると嬉しいです。やりたいことや文化、国籍が違っても、寄り添ったり理解し合うことができるということがこの作品の骨格にもなっています。文化や歴史が違っていたとしても、人間の感情だけは過去も未来も世界共通なんじゃないかなと考えているので、観に来てくださったみなさんが『パリに咲くエトワール』から何かを受け取ってもらえたら嬉しいです。
谷口:今回主題歌を作っていただいた緑黄色社会さんにも、ここ1、2年の流行に合わせたものではなくて、もう少し長い目線で、時間の流れに耐えられるような音楽を作ってほしいということをお願いしています。私自身、すべての事実を事実として受けとめたうえで、同時に肯定できるものは肯定してあげたいという思いがありました。たとえばオルガとルスランが母国を捨てざるをえなかったのは、あの二人が置かれていた国際情勢によるものでした。とはいえそれは仕方のないことであって、当時のロシアという国を否定はしたくはなかったんです。また、当時ロシアのバレエがフランスのバレエに対して優勢であったことなども、それも一つの事実であってそのことをなかったことをしたくはなかった。世界はさまざまなことが線として絡み合って動いていて、フジコと千鶴という二人の少女はそうした線の交差しやすい場所として作っていきました。
——現代にこうした作品が発表されることは大変意義深いことだと思います。
谷口:こういうタイプの作品は定期的に作っていかないと日本のアニメの“足腰が弱くなる”だろうと思っていまして……。日本のアニメのいいところは多様性だと思っていて、すごくシリアスなものから、ちょっとしたライトなコメディものだったり、いろいろなものがあって、いろいろな楽しみ方があるのが私にとってのアニメの良さなんです。ただ業界的にはたぶんこの作品では吉田さんは褒められて、私はバカにされると思います(笑)。「こんな大変なことをやらせやがって」と(笑)。やらないほうが楽なことばかりやっているんですよ。
——それは技術的な意味で?
谷口:バレエを真正面から描くなんて、普通はやらないんです。今回はたまたま作画監督として、バレエの経験者で作画の技量もあるやぐちひろこさんがいたから成立しています。CGを使っているとはいえ、あれでなんでもできるのではないかと思われるかもしれませんが、CGはあくまでサポートとしてしか使えません。そもそも指先や足先までモーションキャプチャーのマーカーを付けているわけじゃないですしね。ノイズだってある。所作と所作の間でどのような体重移動をしながら動くのかというところまで突き詰めると、CGではできないんです。「なぎなたの古流武術の動きも作っちゃいましょう」というのももうアホ以外の何者でもなく(笑)、普通ほかの現場でやったら怒られます。リサーチもできる限りしっかりやっているとはいえ、自主制作的なところから始まった企画じゃなかったら私の居場所はとっくになくなっていると思います。

——さきほど「足腰が弱くなる」とおっしゃっていましたが、『パリに咲くエトワール』のような作品がアニメ業界に必要だと感じているのにはどういった理由があるのでしょうか?
谷口:あまり大上段に構えるつもりはないんですけど、オリジナル作品は挑戦という意識がないと、アニメ現場はただの原作ものの下請けになってしまうと危惧しています。私が関わった『ONE PIECE FILM RED』の尾田栄一郎さんみたいに距離感を理解してくれる人ばかりじゃないから、ともすれば原作者の顔色を伺うばかりといったことにもなりかねません。それに、売れる作品ばかりを作っているとジャンルが偏ってしまって、日本のアニメが持っている多様性が失われてしまうのではないかとも思います。「IPの活用」なんていう前に「作品」をつくらないと活用すべきものがなくなってしまう。過去作品か原作物だけになってしまったら意欲ある人は入ってこないし、観客にも飽きられますから、こういうアニメもありますよ、ということを力足らずかもしれないけれど、お客さんや未来の優秀なスタッフに届ける意味はあるんじゃないかなと私は思っています。
——ジャンルとして多様かは置いておいて、国内のアニメの数自体は年々増え続けていますよね。
吉田:いろいろな作品が作られるのはいいことだと思うのですが、どうしても人手不足になってきてしまいますよね。
谷口:良くも悪くも生活のためだけにアニメを作っている人も増えてはいると思います。ただこれだけ本数が多いということは、若手からするともしかしたらチャンスなのかもしれないですよね。映像に限った話かもしれませんが、今はスマホかパソコンがあったら一人でも作品は作れます。スタジオに入って勉強して実力をつけて……というクリエイターだけでなく、新海誠さんのように個人活動から作家になる道が増えていく可能性もあると思うんです。それは業界が縮小するよりはいいことなのではないか、というふうに私は捉えています。





















