『かぐや姫の物語』に込められた高畑勲の証言 “かぐや姫”はなぜ今なお語り継がれるのか?

「かぐや姫」がホットだ。1月9日に高畑勲監督のアニメ映画『かぐや姫の物語』(2013年)が日本テレビ系の『金曜ロードショー』で放送。1月22日からは『チェンソーマン』や『龍族 ーThe Blazing Dawnー』のオープニングで知られるアニメーター・山下清悟が長編初監督を務めたNetflix映画『超かぐや姫!』の配信が始まる。水彩画のような絵が動き想像力をかきたてる高畑監督と、仮想空間からボカロからVTuberからいろいろと最先端カルチャーをぶち込んだ山下監督がそれぞれに描く「かぐや姫」の違いと面白さとは?
「今回の『かぐや姫の物語』では、空間や陰影など、すべて描き込むのではなく、観る側の想像力や記憶をかきたてるスケッチ的な手法をとりました」。高畑監督が、『風立ちぬ』(2013年)を作り終えて引退を宣言していた宮﨑駿監督と、総合誌『「文藝春秋」2014年2月号』で対談した際に発した言葉だ。鈴木敏夫プロデューサーによる『天才の思考 高畑勲監督と宮崎駿』(文春新書)に採録されている。

宮﨑監督は逆に、「僕はもう線のタッチなんかにこだわりません。線をみせるために映画を作っているのではありませんから」と言い、「たくさんのアニメーターが集まって描くわけですから、線の良さにこだわっていると作業が進まなくなる」とも話して、企画から完成までに8年かかった『かぐや姫の物語』の絵や線へのこだわりぶりに異論を唱えている。
高畑監督にすぐさま、「でも宮さんが全面的にそう思っているかどうかは怪しいよね(笑)」と返されているところは、お互いを知り尽くしたからこその言葉の応酬だ。実際に宮崎監督も、『千と千尋の神隠し』(2001年)で作画監督の安藤雅司と、「どこか剣豪のような名勝負を見ているような面白さがありました」と鈴木プロデューサーに言われるくらい、自身の線にこだわっていた時代があった。今は最新作『君たちはどう生きるか』(2023年)で、作画監督を努めた本田雄の端正さを前に出すくらいになっている。
『かぐや姫の物語』は逆に、徹底して高畑監督が思い描いた線と絵にこだわった。観れば分かるとおり、水彩画であったり水墨画であったり絵巻物であったりするよう美麗な絵が、タッチやフォルムをしっかり保ちつつ動いて物語を紡ぎ上げる。かつて『ホーホケキョ となりの山田くん』で高畑監督が挑んだ、淡いタッチの絵を繋げていく手法をさらに進化させたとも言える。

『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』(文春文庫)に収録の高畑監督の言葉によれば、「子供の絵でも、下手な絵でも、見る人の背後の、描き手が描きたかったものを読み取ろう、想像しようという気持ちを働かせてしまう」とのこと。そうした余白があって想像力を喚起させる絵でアニメを作りたいと、要望を満たしてくれる技術を持ったアニメーターの田辺修と組み、『ホーホケキョ となりの山田くん』で挑戦し『かぐや姫の物語』で改めて望む表現を突き詰めた。
『竹取物語』という題材も、最初に『平家物語』が企画として挙がっていたものの、田辺が暴力シーンを描くことに難色を示したため、高畑監督が以前から気にしていた題材の中から選ばれたところがある。その意味で、絵のユニークさが『かぐや姫の物語』という作品の評価で前面に出ることは当然だが、物語のほうも高畑監督らしく、徹底的に考え抜かれたものとなっている。
『アニメーション、折にふれて』(岩波書店)という本に収録されている「『竹取物語』とは何か」という文章で、高畑監督は「いったい、かぐや姫は何のためにこの地上にやってきたのだろうか、そして何故月に帰らなければならなかったのか」が不可解だと書いている。やがて、そうした不可解さも含めて『竹取物語』が長く人に愛され続けてきたのかと思い至る。
そして、『かぐや姫の物語』では、かぐや姫が降り立った地上で野山をかけまわって奔放に生きる姿と、宮中に半ば捕らわれ心を硬くしていく姿を描いて、どこにも居場所を得られないと思っている現代の人たちの琴線に触れる物語を作り上げた。観る人は、自在に変化しながら想像を促す絵に引かれ、めまぐるしい日々を生きるかぐや姫に導かれつつ、高畑監督の問いを思って137分という時間を過ごすのだ。






















