2025年を振り返るアニメ評論家座談会【前編】 IPの世界的人気は“2016年の再来”か?

2025年のアニメーション業界において最も顕著だったのは、いまや世界において巨大IPを軸に据えたコンテンツが巨大な産業の1つになりつつあるということだった。この流れが2026年以降も継続し、拡大していくことは明らかだ。『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』ならびに劇場版『チェンソーマン レゼ編』が北米の週末興行ランキングで1位を獲得し、大きな話題となったことは記憶に新しい。
同時に放送形態の境界もより曖昧になっていることにも注目したい。日本のアニメにおいてこれまで指標となってきた「テレビ放送」、あるいはテレビというメディアの優位性は薄れ、「推し活」文化と合わさるかたちでまったく新しい受容の仕方が生まれつつある。
2025年を総括したとき、そこには日本のアニメーション産業の構造、そしてその展望がどのように映し出されるだろうか。リアルサウンド映画部では、アニメ評論家の藤津亮太氏、映画ライターの杉本穂高氏、批評家・映画史研究者の渡邉大輔氏を迎えて座談会を行い、2025年のアニメーション業界の動向について語り合ってもらった。
2025年は2016年の再来か?

――まずは2025年全体のアニメ産業の動向についての所感をお聞かせください。
藤津亮太(以下、藤津):今年は、『ひゃくえむ。』のような中小規模の映画に個性的なアニメが多かったですね。僕が関わっている東京国際映画祭のアニメーション部門でも、良い作品が多いため、どれを選んでも部門として魅力的になるという感じがあり、そういう意味でも豊かさを感じました。一方で『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』(以下、『無限城編』)や劇場版『チェンソーマン レゼ編』のようなメガヒットもあったので、その裾野の広がりと、興行的な到達点の高さの両方があった年だなというのがまず大まかな印象です。
杉本穂高(以下、杉本):僕もだいたい同じような印象を抱いているのですが、一方でその興行収入的な成績で言うと、やっぱりメガヒットした作品とそうでない作品の乖離が非常に顕著になった年でもあると思いました。『鬼滅の刃』や『チェンソーマン』といった人気IPを背景にした劇場版は世界的なメガヒットになりましたが、『ChaO!』などを筆頭に、オリジナル作品は国内においては苦戦を強いられました。この差が、今後どういうふうに業界全体を左右していくのかという問題にも直面しているのかなという気がします。
渡邉大輔(以下、渡邉):お二人がおっしゃる通り『無限城編』が『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(以下、『無限列車編』)に迫る興行成績になっているとともに、私は映画批評も手掛ける立場として、実写映画で『国宝』が22年ぶりに邦画実写作品として歴代興行収入を更新したことにも注目したいです。つまり邦画でも、いわゆる「当たり年」だったんですね。この構図は2016年の『君の名は。』と『シン・ゴジラ』の歴史的なヒットととても近いように見えています。『君の名は。』まで一般層からはマイナーだった新海誠はいまや国民的作家になり、当時は新鮮だった『君の名は。』すらいまやクラシックな作品になりつつあります。『無限城編』は、その2016年の流れをさらにアップデートしたように感じています。つまり2025年は2016年の反復でありつつ、そこからの流れが次のステージへ突入したように私には思えるんですね。そこで今日は、お二人に自分のなかにある大きな見取り図について伺ってみたいです。2025年の『無限城編』と『国宝』のヒットは「2016年の再来/反復」なのか、つまり2025年という年をどれくらい重要に見るかということです。

藤津:僕は、2016年の状況とは重なってるようで、少しずれているという感覚です。 それはやはり『無限城編』と『君の名は。』の違いが大きいと考えています。新海誠は1人で制作しているところからスタートしているような新しさがあり、2016年以降は彼が1人の作家がそこからさらに成熟していくプロセスに立ち会ったような感覚があります。一方で『鬼滅の刃』はそうではない。『鬼滅の刃』自体のお話はすごく古典的なんですよね。けれどそれが圧倒的なビジュアルで展開され、いわゆる1本で完結する映画でもないのに世界でメガヒットを記録している。これは明らかに、何らかのかたちで世界のルールが書き換わった気がするんですよ。これほど古典的な作品でルールが変わったこと自体に少し驚いています。
杉本:世界のルールということで言えば、いま世界では配信にするか劇場上映にするかということが問題になることが多いんですね。一方で日本のアニメの特徴として、『鬼滅の刃』に代表されますが、劇場か配信かで揉めてないんです。『無限城編』はテレビシリーズ『鬼滅の刃』の続編なわけですが、それを映画館で上映してメガヒットを記録する時代になっている。そういう意味で、ビジネス的なルールを書き換えてる作品だと思います。1つのストーリーを、プラットフォームを乗り換えながら進行して大ヒットを記録するのは、ディズニーやマーベルでもまだできていない画期的なことです。また今回『果てしなきスカーレット』(以下、『スカーレット』)が興行的にうまくいかなかったことによって、興行的に成功できる「アニメ作家」と言える人が新海さんくらいしかいなくなってしまった。元々そんなに多くなかったですけど。そういう意味では2016年に新海さんが切り拓いたように思えた「アニメ(映画)作家の時代」は早くも閉じるのかもしれないという気もします。あれから10年経って、むしろIPの時代になってきたわけで、1つの時代の終わりを目撃している可能性もあり得ますよね。
『鬼滅の刃』外崎春雄監督の“作家性”はなぜ無視されるのか? 映画史に残る“偉業”に迫る
外崎春雄監督の偉業と注目度の低さ 7月18日公開の『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』(2025年)が公開…渡邉:そうですね。以前の座談会では、「作家の時代」が到来したのではないかというお話がありました。そのことについても、2025年は大きく変わったように思います。つまりもはや「作家」というタグでアニメが注目されないんですね。『無限列車編』のころから言われていましたが、あれだけヒットしても監督や作り手は多くのジャーナリズムから全然フィーチャーされない。重要なのは、一部のコアのファン以外の一般層の視聴者側もそのことを気にしていないことです。これは福嶋亮大さんが『メディアが人間である 21世紀のテクノロジーと実存』(blueprint)に書かれていたお話とパラレルに語れると思います。福嶋さんはこの本で生成AI登場以降のメディア論における新たな「実存」の台頭というお話をされているのですが、これは生成AIの浸透によってみんなが「作家」になってしまうがゆえに、逆に「作家」がコンテンツ化してしまうという逆説的な状況も表している。作家と受け手という二項対立が解体されたことで、逆説的に作家性というものが注目されなくなっているのではないか。

藤津:その中で話題となったのが『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』でした。もちろん作品それ自体も面白いし魅力的なのですが、大半の部分を1人で制作していることもあって、新海誠の『ほしのこえ』の再来ではないかということも含めて話題になっている。
渡邉:『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』の場合は『ほしのこえ』との間に『PUI PUI モルカー』がありますね。
藤津:はい。しかも『モルカー』と同じでシンエイ動画が携わっていますね。そう考えると、今年は裏主人公が新海さんだったということになるのかもしれない(笑)。つまり興行の中心となれる個人の監督とか、個人制作、あるいはIPかオリジナルかということに対して、彼を軸にして距離を測ることができそうですね。新海さん自身は今年新作は出されませんでしたが、それほどまで中心的な存在になったと言えます。
渡邉:来年で『君の名は。』から10年だと考えると、本当にあっという間でしたね。
杉本:作家の創出とIPの台頭はトレードオフのようにも見えるのですが、本当にそうなのかということについては改めて問われるべきだと感じています。例えば『ひゃくえむ。』は、岩井澤健治監督の作家性が見えつつ成功している事例だと言えます。IPとの向き合い方を工夫しながら、作家そのものの魅力を押し出していく作品のつくり方が今後は求められるのではないでしょうか。ただそもそも、多彩な作品が揃っているという意味で作家がいなくなったわけでもないと思っています。
藤津:そうですね。「作家」それ自体がいなくなったわけではないんですよね。個性的な作り手はいるけれど、興行を支える存在かと言われるとそうではない、というのが現状だと思います。
ジャンプ原作とIP

――原作付きのIPで言えば、今年は『鬼滅の刃』、『呪術廻戦』、『チェンソーマン』と『週刊少年ジャンプ』発のIPが堅調でした。
藤津:そうですね。僕はこうした作品のヒット自体は悪いことではないと思いますが、同時に危険性も感じています。アニメ業界の視点に立つと、出版社が主導して巨大なIPを優秀な“技術者”を集めて制作するという体制が強化されるのではないかという、不安があります。
杉本:『週刊少年ジャンプ』系のIPは世界的なものになっているので、事業的には外しようがないんですね。もはやそれを中心に考えざるを得ないビジネスモデルになりつつあります。そうなると作家の問題にもつながってくると思いますが、作家やスタジオの個性はどう育てればいいのかという課題が出てくる。またそれによって、アニメスタジオの企画力が求められない状態になってしまっているんですね。ただ実際、ジャンプの作品はヒットするのが間違いないと思えるくらいに面白すぎる。よほどのことがない限り今後も変わらないのではないのかと思います。
藤津:伝統的にアニメの半分以上は原作付きのもので、オリジナル作品というのは難しかったのですがアニメの歴史において突破口を開いた作品にオリジナルが多かったのもまた事実です。それが変わってきていますよね。
渡邉:『週刊少年ジャンプ』作品のアニメ化は、今年に限らずここ数年常にヒットし続けていますね。以前この座談会でも話題に挙がったと思いますが、『少年ジャンプ+』の世界的な成功がやはり大きい。アニメ化以前から、すでに世界中で原作が読まれている状況になっています。
藤津:『少年ジャンプ+』は英語に対応したことに顕著ですが、それはつまり作品のタッチポイントを入れ替えたかったんだという理解です。つまりそれまでアニメが海外でヒットして、あとから原作の翻訳が売れるという順番だったのを「原作を読んでいたあのマンガがアニメ化される」、つまり集英社が先行するかたちに入れ替えたかったんですね。まず原作でビジネスをして、その次にアニメでもう1つ大きいビジネスをするという組み立ては、上手くいっていると思います。
杉本:このビジネスモデルは、配信と非常に相性が良いんですよね。配信は企画段階でリクープが決まるものもあって、それはひとえにIPが大きくて人気だから可能になる。マンガの海外展開は、それに大きく貢献しています。なので今までは海外での作品の受容が、日本と同じ順番になる。そうなると、ジャンプの優位性はますます強固になっていきますね。渡邉:しかも、『無限城編』はまだ第一章なのでさらに続きますよね。公開されるたびに、ランキングに入ってくる未来が見えます。 2030年くらいには、日本の興行収入ランキングの上位が全部『鬼滅の刃』になっているのかもしれない(笑)。『鬼滅の刃』のヒットを考えると、やはり映画自体が変わってると考えざるを得ない。ゴールデングローブ賞にもノミネートされたわけですしね。
藤津:ジャンプ発のIPが強いことそれ自体は悪いことなんじゃないけれど、それだけでいいのかという話ですよね。そうなると、アニメ会社の企画力をなんとかして強くするしかないですね。
杉本:そうですね。他のIPの生み出し方として『TO BE HERO X』のように海外に活路を求めるのは1つの動きだと思います。とはいえ、『週刊少年ジャンプ』IP一強の時代は揺るがないでしょうね。そう考えると、企画の作り方を多彩に持っておくべきなのだろうという気がします。単発の劇場版をうまくリクープする仕組みも必要だし、他の出版社ももっと力をつけていくべきだし、そのような多彩さが日本のアニメを豊かにしていくし、維持していくことになる。























