『ヤンヤン 夏の想い出』はなぜ映画史に残る名作なのか 4K版で味わう“余白”の醍醐味

『ヤンヤン 夏の想い出』“余白”の醍醐味

 この物語が描かれた2000年は、携帯電話が普及して間もない頃であり、インターネットも黎明期と呼ばれていたような時代。現代ほど人と人とのつながりは希薄ではなかったからこそ、行き違いや思い通りにいかないことに苦悩することが当たり前であった。

 真正面から向き合うのが難しいのならば、後ろ姿を見ればいいと言わんばかりのヤンヤンの一見哲学的な行動は、コミュニケーションに苦しみを抱える人々に差し伸べられたあたたかな手のようだ。俯瞰してみたり、後ろから見てみたり、一定の距離を保ちながら表層だけを見てみたり。当たり前のように、コミュニケーションというものには何かひとつの明快な答えなど存在しないのだから、あらゆる視点から想像をめぐらす必要がある。それをささやかにアドバイスしてくれているのだろう。

 終盤で物語が大きく揺れ動く瞬間があるが、それを除けば非常に静かなまま3時間弱の時が流れる。だからといって、“何も起きない”わけではない。何も起きていないようで、実は何かが延々と起き続けていることをひしひしと感じながらこの物語の世界を生きる。それはどこかで人が生まれて死んで、誰かと出会って別れてを繰り返しながら、些細な日常を積み重ねていく人生と同じことである。やはりこの映画は冒頭で述べたように、語られていく物語ではなく、切り取られた時間の流れという余白を観る映画だということだ。

 “名作”と呼ばれる作品は、生まれながらにして普遍的な価値を有するのか、それとも長い年月を経てその価値が付与されていくのかといった類の問答がある。『ヤンヤン 夏の想い出』の場合は、たしかにエドワード・ヤンの死後にその評価が極まった印象があるが、作られた時点でそうなる資格を有しており、結果的に年月を経てそれが確たるものになったといえよう。ヤンヤンを演じたのはエドワード・ヤンの息子であるショーン・ヤン。彼がラストシーンで語る、「僕も、もう年だ」の言葉。それから25年経って、彼がすでに大人になっていることに思いを馳せた時、映画と現実の垣根は容易に取り払われる。

■公開情報
『ヤンヤン 夏の想い出』4Kレストア版
Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下、シネスイッチ銀座、109シネマズプレミアム新宿ほか全国公開中
監督・脚本:エドワード・ヤン
出演:ウー・ニェンツェン、イッセー尾形、エイレン・チン、ケリー・リー、ジョナサン・チャン
撮影:ヤン・ウェイハン
編集:チェン・ポーウェン
録音:ドゥー・ドゥーツ
美術・音楽:ペン・カイリー
配給:ポニーキャニオン
2000年/台湾・日本合作映画/中国語・日本語/カラー/173分/原題:YI YI/英題:YI YI: A ONE AND A TWO
©1+2 Seisaku Iinkai
公式サイト:https://yi-yi.jp/
公式X(旧Twitter):@YIYI_4K

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる