『平場の月』が描く50代の恋愛のリアリティ 堺雅人と井川遥が体現する人間の愛おしさ

青砥がやや妥協して選んだ三日月のチャームのネックレスを大事にして、泊まりがけの温泉旅行よりも日常の日々を大事にしたいと話す須藤。そんな彼女がつかもうとしていたのは、功利主義や、よりよい生活への憧れを求めることから降りた、手の届く幸せを実感して精一杯それを味わう日々だったのではないか。
「平場の月」というタイトルは、まさにそういった、平凡なものに意義を見出す姿勢を示しているように思える。象徴的なのは、アパートの入り口の、植え込みともいえない雑多な場所に安らぎを見出そうとする精神性だ。おそらく他の誰も目に留めない場所に、誰かが明日を生きるための希望が存在するかもしれないのだ。
森田芳光監督、薬師丸ひろ子主演の1984年の青春映画『メイン・テーマ』の主題歌である、同名の薬師丸ひろ子の一曲もまた、ふたりにとって大きな意味のあるものになっていく。そんなふたりにとって、この歌を口ずさむ何でもない瞬間が、いかに人生にとって意味深いものになっていくかという推移は、人間の弱さと強さ、そして愛おしさを表現する。それを居酒屋の店主(塩見三省)がさりげなく見守り、心に寄り添うのである。
須藤を演じた井川遥は、ここでは“太い”と劇中で表現される質実剛健な役柄であり、メイクもヘアスタイルも非常にナチュラル。彼女のパブリックイメージと比べると、まるで別人のような姿だと感じられる。しかし、中学時代から変わらないという芯の強さを見事に表現していて、その変貌ぶりに驚かされる。
とはいえ、現在の50歳という存在が1980年代やそれより前の時代の映画の登場人物と比べると、この青砥と須藤のキャラクターは、非常に若い存在として描かれているように感じられる。それは年齢を気にしながらも自転車に二人乗りするシーンが印象深いように、恋愛や青春というものを、より幅広く楽しんでいいものに変質したことを映し出しているという意味で、社会の進歩だと思える部分だ。
だが一方で、例えば小津安二郎監督の映画で50、60代と想定される父役を40、50代で演じていた笠智衆や佐分利信の、枯れた、あるいは安定感のある存在と比べると、幼い印象を持つことも確かだ。さらにその後の向田邦子、倉本聰などの書いた“大人像”も、やはりそれなりの重みがあったはずである。
劇中でふたりが主題歌を口ずさんでいた『メイン・テーマ』公開時期を青砥と須藤の中学生時に合わせるなら、日本のバブル期のど真ん中か、後半部分を若い時代に経験している世代だといえる。思想もイデオロギーも軽視され、金と消費が正義とされた風潮を、リアルタイムで浴び、日本の経済的なパワーが衰退していくのを、最も感じてきた存在ともいえる彼ら。
そこに、どこか空虚さや哀愁を持ちながら、大人になりきれていないという意味での、もう一つのリアリティがあるのではないか。だからこそ、ここで平凡でも確固とした足場を手に入れるという、須藤の願いには、彼女個人だけではない、世代的な意味が立ち上がってくるのかもしれない。
だが、この後の日本の世代は、経済状態や社会福祉の観点から、そもそも足場すらなく、未来が見えない状況が常態化しているといえる。10年後、そして20年後、50歳以上のリアルを描く恋愛映画がまた撮られるとすれば、本作よりも厳しく、生々しい内容になってしまうのではないだろうか。そんなおそろしいことも感じさせる、『平場の月』であった。
■公開情報
『平場の月』
全国公開中
出演:堺雅人、井川遥、坂元愛登、一色香澄、中村ゆり、でんでん、安藤玉恵、椿鬼奴、栁俊太郎、倉悠貴、吉瀬美智子、宇野祥平、吉岡睦雄、黒田大輔、松岡依都美、前野朋哉、成田凌、塩見三省、大森南朋
原作:朝倉かすみ『平場の月』(光文社文庫)
監督:土井裕泰
脚本:向井康介
主題歌:星野源「いきどまり」(スピードスターレコーズ)
配給:東宝
製作:映画『平場の月』製作委員会
©2025映画「平場の月」製作委員会
公式サイト:https://hirabanotsuki.jp/
公式X(旧Twitter):@hirabanotsuki
公式Instagram:@hirabanotsuki

























