『平場の月』『花束みたいな恋をした』『片思い世界』 土井裕泰が描く“距離を見つめる愛”

『ビューティフルライフ〜ふたりでいた日々〜』(2000年/TBS系)、『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年/TBS系)、『カルテット』(2017年/TBS系)といった数々の人気ドラマを手がけてきた土井裕泰監督は、近年、映画というステージでも存在感を発揮している。とりわけ『花束みたいな恋をした』(2021年)や『片思い世界』(2025年)では、その繊細な演出力が高く評価され、大きな注目を集めた。

土井監督は、“距離”を撮る演出家だ。それは登場人物のあいだの距離であり、時間との距離であり、そして観客と物語との距離でもある。例えば『花束みたいな恋をした』では、カルチャー好きの麦(菅田将暉)と絹(有村架純)の2人が意気投合し、距離を縮めていくまでのプロセスを、歯切れのいい会話のテンポと軽やかなカット割りで描いていた。だが仕事や生活の速度がずれるにつれ、会話は間延びし、かつての共鳴は次第に乖離へと変わっていく。

『片思い世界』では、視線がすれ違い、気配がこぼれ落ちる瞬間を通して、美咲(広瀬すず)と典馬(横浜流星)とのあいだに横たわる見えない隔たりを浮かび上がらせる。それでも、美咲の想いは静かに、物理的な距離を超えて典馬へと届いていく。『花束みたいな恋をした』では“距離が近づく恋”、『片思い世界』では“距離を超える愛”。そして最新作『平場の月』では、“距離を見つめ続ける成熟”が描かれる(個人的には、これを「恋愛映画の距離三部作」と呼びたい)。
原作は、山本周五郎賞を受賞した朝倉かすみの同名小説。脚本を手がけたのは、『リンダ リンダ リンダ』(2005年)や『愚行録』(2017年)などで知られ、『愚か者の身分』も公開中の向井康介。派手な台詞劇ではなく、行間や余白に情緒を託す構成力が特徴の向井ならではのシナリオが、土井裕泰の距離を撮る演出と響き合い、静謐なリアリズムを生み出している。

主人公は、町工場で働く青砥(堺雅人)。かつて同じ街で青春を過ごした須藤(井川遥)と偶然再会し、互いの孤独に向き合うようになる。仕事、家族、そして過去の痛みを抱えながら、それでも誰かと生きることの意味を探すーー成熟を迎えた男女の再会の時間を描くラブストーリーだ。
『平場の月』では、やたら酒を飲み交わすシーンが頻出する。近所の居酒屋で、須藤の自宅で。2人はお互いの近況を語り合うが、不思議なくらい、決定的な言葉を避けているように見える。踏み込みすぎず、引きすぎない。そんな微妙な間合いの中で、心の距離が揺らいでいく。
思えば『花束みたいな恋をした』は、“近づくことの代償”を描いた作品だった。あれだけカルチャートークで花を咲かせていた麦と絹だったのに、恋がゼロ距離に達したとたん、ふたりの呼吸は同調しなくなる。たぶんそのことを、アラフィフの青砥と須藤は、痛いほど理解している。だからこそ、あえて距離を保とうとする。青砥が自転車で2人乗りするかと尋ねると、須藤が「いや、それはあまりにも青春すぎるし」と返すのは、その象徴的な場面といえるだろう。
『平場の月』は、単なる不器用な大人のラブストーリーではない。恋がゼロ距離に達するリスクを知りすぎた大人たちの物語だ。だから青砥と須藤は、再び恋に火をつけようとしないし、必要以上に相手に踏み込もうともしない。沈黙さえも恐れず、ただ酒を酌み交わす。それは『花束みたいな恋をした』における“言葉が通じすぎる恋”への、静かな反証なのである。




















