阪本順治監督が日本映画界に“継承”していく思い 「一瞬でも残るような場面を」

阪本順治が日本映画界に“継承”していく思い

 1975年に女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した登山家・田部井淳子。その実話を基に、彼女の生涯を描く映画が阪本順治監督作『てっぺんの向こうにあなたがいる』だ。

 田部井をモデルとした主人公・多部純子を演じるのは、本作で映画出演124本目となる吉永小百合。阪本監督は『北のカナリアたち』以来、13年ぶりに吉永とタッグを組んだ。

 偉業の裏にあった知られざる葛藤、家族との絆、そして晩年まで続いた挑戦の物語を、阪本監督はどのように映像化したのか。実在の人物を描く上での覚悟、そして吉永への思いについて話を聞いた。

「事実ではないが、真理ではある」実在の人物を描く覚悟

ーー本作は、女性として世界で初めてエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんをモデルにした作品です。監督はどのような経緯でこの企画のオファーを受けられたのでしょうか?

阪本順治(以下、阪本):キノフィルムズさんが「吉永小百合さんの新作を」ということで、いくつか企画を検討する中から、「田部井淳子さんの実話をモデルとしたフィクション」という企画が、プロデューサーと吉永さんの同意のもとで決まりました。それから僕にオファーが来たんです。まだ企画も脚本もできていない状態で、最初のオファー内容は「田部井さんの著作物3冊を提示された」というものでした。田部井さんがエベレスト登頂を果たしたのは1975年。僕は高校生で、その偉業がニュースになっていたのをなんとなく覚えています。ただ、僕自身は登山を趣味にしている人間ではないので、田部井さんを題材にすることに不安もありましたし、同時にいい意味でのスリルも感じました。

ーー田部井さんは近年まで活躍され、ご家族も活動を続けられています。実在の人物、特に現代を舞台とすることの難しさや、向き合い方についてお聞かせください。

阪本:これまでにも実在の人物や実話にインスパイアされた映画を、本名のまま、あるいは仮名にして作ってきました。その中で一番大事なのは、やはり誰も傷つけないということです。ただ、人の一生を2時間という映画の枠に収めることは不可能です。ですから、何かしらのフィクションを交えたり、時間軸や場所を変えたりしながら紡いでいくしかない。当然、亡くなった方であればご家族がいらっしゃいますから、了解を得なければなりません。脚本作りのときから常に、「事実ではないんだけど、でも、真理ではある」というところにまで持っていければいいな、と考えていました。その人の人物としての本来の姿、その核の部分にまでは嘘を交えない。でも、そこを描くために、逆に大きな嘘もつかなければならないときもある。そのせめぎ合いでしたね。 

ーー本作では、田部井さんをモデルとした主人公・多部純子の輝かしい功績だけでなく、例えば登山隊の仲間から「だから去っていくんだよ」と厳しい言葉を浴びせられる場面など、光と影の部分が非常に率直に描かれているのが印象的でした。

阪本:やはりあれだけの偉業、エベレストだけでなく七大陸の最高峰制覇とか、ものすごい偉業を成し遂げた方です。その偉業を称えるとともに、その実人生においてどういう戦いがあったのかを、物語の軸にしなきゃいけないと考えました。幸い、田部井さんご本人だけでなく、ともに登った方々の書物も多く残っていました。そこには、ある種の軋轢や、息子さんとの関係がうまくいかなかった時期があったことなども正直に書かれていたんです。それらを避けて通ったほうがいいのかどうかは、作り手として非常に悩むところでした。ですが、先ほど言ったように、それを避けて通ることは、逆にその人の人生に嘘を交えてしまうことになり、そちらのほうが後ろめたいな、という思いもありました。決定打になったのは、準備中に田部井さんの故郷である福島県の三春町の博物館に行ったときのことです。当時、田部井さんの遺品がショーケースに飾られていて、エベレスト登頂時の登山服とともに、ネパール国王から贈られた勲章も展示されていました。その勲章のキャプションに、「田部井淳子さんが自分一人だけがこの勲章をいただいたことを、ずっと引きずって生きてた」と書かれていたんです。ご本人がそう吐露されているわけだから、ここは避けて通らずに正面から向き合おう、と。そう決めて、ご家族の理解も得ました。あの場面があるかないかで、映画の印象はかなり変わってきたと思います。

「神は細部に宿る」昭和の空気感を追求した美術

ーー昭和の時代の空気感が、最近観たどの映像作品よりもリアルに感じられました。監督はどのように「昭和」を切り取ったのでしょう?

阪本:それはもう、自分がまさに昭和の人間だということに尽きるんですが(笑)。やっぱり「携帯電話がない」ということで物語が立ち上がる部分はあると思います。今の現代劇を撮ろうとすると、そこがもう鬱陶しくてしょうがないと常々思っていますから。当時はまだツールが少なくて、人と人が直接出会わなければ会話が成立しなかったり、電話はあったとしても、相手の顔色を見たり、声色を伺ったり。そういう人間本来のコミュニケーションの取り方みたいなものを、携帯電話がないことで直接的に描ける。それが昭和の醍醐味だったと思いますし、与えられた時代が昭和であればあるほど、描く喜びを感じます。扇風機一個のあり方、多部家の台所のあり方など、そういったパーツ一つ一つを、過去を検証しながらビジュアルとして考えていく。これは映画作りの醍醐味で、本当に楽しい作業です。

ーー昭和後期、そして2010年代に至るまでの「近過去」の美術は、少しでも外すとチープに見えてしまうことが一番難しいところかと思います。

阪本:実は「近過去」のほうが、もう捨てられてしまっているものが多くて、美術装飾のスタッフは探し出してくるのに本当に苦労したと思います。例えば、当時の取材陣が持っている16mmカメラとかね。でも、スタッフは「絶対に嘘をつきたくない」という強い意志を持っていました。何年何月の設定かによって、そこに置くクラシックカーが「まだ発売されているか、いないか」ということまで、僕らが言わなくても彼らは嘘をつきたくないので、しっかり時代考証をやってくれました。俳優さんも、セットに入って「あ、これ嘘だな」と思うと、やる気も失せてしまうじゃないですか。でも「しっかり空間を作ってくれてるな」と思えば、もっと役に没頭しやすくなる。撮影をする空間は、観客にどういう印象を与えるか以前に、まず俳優が演技しやすい空間を作ることが大事なんです。特に(佐藤)浩市さんはよく見ています。時代物だと本棚をずーっと見ていて、「ありえないよな、こんな本、このときに」とか(笑)。ただ数が揃っていればいいと背表紙を並べているだけでも、すぐバレてしまいますし、「神は細部に宿る」を信じて、スタッフ全員が力を尽くしてくれました。

ーーのんさん(多部純子青年期)をはじめとする「昭和組」のキャストの皆さんが、本当にその時代に生きている人に見えました。青年期のチームには、どのようなアプローチをされたのですか?

阪本:顔立ちもそうですし、衣装メイクさんが当時の流行りの髪型やウィッグを研究してくれました。何より、あの時代の生き方は成熟していたと思うので、あまり幼くならないように気をつけてもらいました。皆さん、ほとんど登山経験がない方だったので、まず一堂に集まってもらって、登山家の方にレクチャーをしていただきました。登山靴のあり方、ロープの巻き方といった基本知識を学んでもらい、わずかに残っている田部井さんたちの実際の映像をみんなで見たり、資料を配布したり。それから、当時の時代背景ですね。1970年代初頭がどういう時代だったか。例えば、当時の年収や月給、金銭感覚。あるいは、「女のくせに」と言われながら、ピンクのヘルメットをかぶった女性の活動家組織が生まれたりとか。直接演技に役立たないかもしれないけれど、「自分たちがどの時代を生きた人間だったか」というレクチャーはさせてもらいました。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる