家事とは“どうしよう”と向き合うこと 『対岸の家事』が令和に作られたことは大きな救いに

『対岸の家事』が制作されたこと自体が救いに

 火曜ドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』(TBS系)を、TVerで追いかけた日々。現在、2人の乳幼児を育児中の筆者は残念ながらこの時間帯のドラマをリアルタイムで楽しむことが難しかった。子を持つ前は21時には寝かしつけを終えて、22時のドラマをゆっくり観られるかな……なんて考えていたものだが、甘かった。実際の22時は睡魔に抗いのけぞる子どもたちを抱っこしたり、お腹をポンポンしたり、髪の毛を引っ張られたりしていたのだ。

対岸から冷たい視線を投げかけるのも、橋を架けるのも自分

 子育てがこんなに大変だなんて思わなかった、というのが正直な感想。もちろん「大変だ、大変だ」とは耳にはしていた。だが、対岸にいる限りは「そうなんだ」と知ったつもりにはなれても、実際に当事者にならないとわからないことばかりなのだ。

 今の世の中は、そんな当事者になっている人たちが愚痴をこぼすもんなら「自分で選んだ道でしょ!」「そんなことも想定しないで選択したの?」なんて冷たい言葉が飛んでくる……気がする。というのも、他ならぬ自分自身が1番厳しい視線を向けている気がするのだ。

 迷惑をかけないように。誰かにシワ寄せがいかないように。「無理ゲー」と言いたくなるようなギリギリの日々を送る礼子(江口のりこ)が「子どもなんて産んですみません」「仕事も家庭もなんて欲張った罰」と言うシーンは、きっと子育て中の人たちなら一度は思ったことがあるはず。

 ただ一方で、詩穂(多部未華子)のように困っていそうな人がいたら声をかけたくなる衝動にも駆られる。なんなら街を歩きながら自分と同じように寝不足の表情でベビーカーを押すママを見かけると、「同志よ」とハグしてお互いを労いたいという気持ちにも。

 もちろん、中谷(ディーン・フジオカ)が懸念したように、他人の家庭にあんまり深入りするのは、どうかと思うときもある。だが踏み込まなければ、自分を誰かを隔てる川幅は広がっていくばかり。そんなふうに感じるこの令和の世に、このドラマがオンエアされたのは大きな救いだったと思う。

 「助けて」と声をかけること。「肩を貸します」と笑いかけること。そんなちょっとした心くばりで、独りだと泣いている人に橋を架けることができるのだと希望を持てた。それこそ、人の心は海の上の雨と同じように、たまたま通りかかったときに気づかなかったらなかったものにされてしまうのだから。

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