『べらぼう』渡辺謙が新たな人物像を構築 “早すぎた改革者”田沼意次の生涯を辿る

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)第17回では、ついに平賀源内(安田顕)が獄死。パトロン的存在だった老中・田沼意次(渡辺謙)とは一時は決別するも、最後は気持ちが通じ合っての別れだったことに、せめてホッとする。
蔦重(横浜流星)は「きっと源内さんのファンが生き延びさせている」と言ったが、源内の最大のファンといえば、彼を抜擢し続けてきた田沼にほかならない。源内には生存説があり、田沼の領内である遠江国相良藩(現在の静岡県牧之原市)に密かにかくまわれたともいわれる。源内の墓も存在するが、説の域を出ない。
田沼にとって頼もしい味方となり得たかもしれない老中首座の松平武元(石坂浩二)に続いての源内の死。今後ますます苦しい立場に立たされるに違いない田沼意次について書いてみたい。
従来のイメージを打ち破る人物造成

田沼意次といえば、かつては「賄賂」「悪徳政治家」の代表のように扱われてきたが、近年は彼の功績が再評価されており、2023年NHK放送の『大奥』(男女逆転)では善人に振り切った田沼(松下奈緒)と彼(彼女)を愛する源内(鈴木杏)の姿が描かれた。
『べらぼう』での田沼はさらに進んで、清濁併せ現実的に「ありえそうな」キャラクター造成がされているのだ。
田沼は誰にでも気さくに接したと伝わる。子孫にも「相手の身分によって態度を変えてはいけない。誰とでも分け隔てなく付き合うように」と遺訓を残したという。
ドラマでの蔦重との出会いのシーンでは、しっかりと賄賂を受け取る姿も描かれたが、彼は浪人である源内だけでなく、「吉原者」の蔦重とも対等に言葉を交わす。史実では蔦重と面識があったことは確認できていないが、田沼の人物像を表現する上で、蔦重との交流は重要なポイントなのである。
この時代に賄賂を受け取っていたのは田沼だけではない。彼だけがことさら悪く書き残されたのは、のちに権力を握ったライバルたち、松平定信(寺田心)らの意向だとする説もあるのだ。
将軍に才能を認められて大出世
田沼の父・意行は、8代将軍吉宗のもとで足軽から旗本にのし上がった人物である。嫡男である田沼は9代将軍家重の小姓から御側御用取次となり、10代将軍家治の側用人から老中へ。父から受け継いだのは600石だったが、最終的に相良藩5万7,000石の大名となった。
田沼の異例の大出世は彼の実力の成果であり、将軍からえこひいきされたわけではない。田沼には「先見の明」があり、ほかの幕臣にはない視点を持っていた。
江戸時代のほかの改革が、「農業依存」から脱却できなかったのに対して、より広い視点で具体的な策を実行したのは田沼だけだったといってもよい。悪化の一途をたどる財政の立て直しのために「新たな産業の育成」に尽力した有能な政治家だったのだ。
経済の活性化をもたらした田沼の政策
田沼は「享保の改革」から引き継いだ「株仲間」によって、商人から「冥加金(上納金)」を徴収し、幕府収入を増加させた。鉱山開発にも力を入れ、金銀が枯渇すると「銅」を生産して輸出し、貿易収支を黒字にしたのである。
使い勝手のよい新しい貨幣もどんどん鋳造。貨幣の流通をスムーズにし、新しいビジネスモデル(現代の100円ショップ)も生まれた。また、砂糖など高価な輸入品を国内で生産して、新しい産業を生み出すことにも成功。
田沼には、悪い状況にも即座に対応できる柔軟さがあった。「農業がダメなら商人から徴税すればよい」「金銀がなければ銅を掘ればよい」などは、田沼らしいシンプルな考え方だといえる。
源内や蔦重が活躍できた自由な田沼時代
田沼の政策の結果、経済は活性化して生活が向上、庶民にもゆとりが生まれた。長屋に住む庶民までが、歌舞伎や落語の見物、旅行や読書などを楽しめるようになったのである。田沼の時代は江戸に町人文化が花開いた自由闊達な時代だった。それも「言論・風俗統制」をしなかった彼の功績の一つである。
「平賀源内」というマルチクリエイターや「蔦屋重三郎」という名プロデューサーが生まれたのもこの時代だったから。田沼も源内も蔦重も「新しいものを柔軟に受け入れた改革者」という点で似た者同士だったともいえるかもしれない。
田沼失脚後にはその反動で、自由のない厳しい世の中がやってくるのである。




















