『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』に詰め込まれた、レオス・カラックスの意志や焦燥

かつて、フランス映画界で「恐るべき子供たち」の一人に数えられ、「アートフィルムのロックスター」や、「新時代のゴダール」などと評価されてきた、天才児レオス・カラックス監督。『ボーイ・ミーツ・ガール』 (1983年)にて20歳で監督デビューし、『汚れた血』(1986年)の破壊的な演出で、新世代の観客を熱狂させた若き才能は、今年で64歳となった。
映画『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』は、パリの現代美術館「ポンピドゥー・センター」による、そんなレオス・カラックスをテーマとした展覧会の企画がきっかけとなって生み出された。だが、美術館から“白紙委任”されたカラックスの展示の構想は膨れ上がり、かつての『ポンヌフの恋人』(1991年)同様に、予算が膨れ上がる事態に陥った。展覧会は、結局開催されることはなかったのだ。
企画の時点で最初にポンピドゥー・センターから要望があったのは、10分ほどのポートレート的なショートフィルムの制作だった。カラックスは、ホームムービーのようにさまざまな映像を一人で編集し、映像を楽しみながら繋いでいったのだという。その内容を劇場用に広げ、幻となった展覧会の代わりに公開したのが、本作『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』というわけなのだ。ここでは、そんな本作が表現したものを、内容を振り返っていきながら考えてみたい。
本作の内容は、レオス・カラックスが自身についてのさまざまな要素をコラージュした、“映像エッセイ”とでもいえるようなものだ。無数の映像の合間に表れる、その特徴的なキャプションのデザインからは、ジャン=リュック・ゴダール監督の作品を想起させる。2022年のゴダールの死去が、本作にどこまで強い影響を与えたのかは分からないが、監督の既存の映画作品や政治的な事件、自身の姿や感覚的なイメージの表出など、その全体的なスタイルまで、本作がゴダールの、とくに晩年のスタイルを踏襲しているのは確かだろう。
といっても、やはりゴダールと異なる部分は多い。例えば、ゴダールの『イメージの本』(2018年)が、感覚的ながらもさまざまな引用や社会問題への視点が“構築的”に組みあがっているのように感じられるのに対し、カラックスの『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』は思索的ながら、より感情的に好きなものや課題を追って、取り止めのない連想を繰り返しているように感じられる。ここでのゴダール作品が“書籍”だとすると、カラックスのそれは、まるで小規模な“ライブ演奏”のようである。
犬や娘の肖像が表れるように、レオス・カラックスの日常的な世界を見せるところは、律儀にポンピドゥー・センターの要請に従っているようである。カラックスに大きな影響を与えたとされる『狩人の夜』(1955年)や『めまい』(1958年)の断片や、ゴダールが馬や列車のモチーフにこだわっていたのと同様、連続写真『動く馬』(1878年)や、映画黎明期の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896年)、『サンライズ』(1927年)などを通して、映画史のなかで自分とそれらのつながりを振り返っていくところも、作家性の構築を、分かりやす過ぎるくらいに語っている。「どこの家族にも、おかしな奴が一人いるんだ」と、子供時代を振り返りすらする。
カラックスが映画界に登場したとき、なぜ多くの若い観客が夢中になったのか。それは、繊細で社会に馴染めないと感じる青春期の疎外感が、作品に色濃く反映していたからだろう。自作『汚れた血』での、「Modern Love」が流れる夜の孤独な疾走シーンは、まさにその生きづらさへの叫びであり、それはパンクロックのライブやバイクでの暴走などと同質の感覚を、ストレートに映画に持ち込んだものだったといえる。そんな観客との精神的な繋がりは、内省的に自分の周囲を眺める、一種の視野狭窄と暗い優越感から生まれていることを、カラックスはここで感覚的に、そして分析的にも語ってみせているのだ。
そんな正直さの一方で、アドルフ・ヒトラーの写真を紹介して「父だ」と説明するような、寺山修司のように自分の過去を“偽史”として紹介する態度を見せるところや、ロバとニワトリの鳴き声を入れ替えるという、映画の“虚構性”を無邪気に強調してもいるというのも興味深い。それは、自分を語ることへのシャイな抵抗感からきていると思われるが、それが逆説的に、本作で意外なほど自分をさらけ出してしまったことへのエクスキューズにも見えるのである。






















