孫家邦は映画界に何をもたらしたのか 横浜聡子、石井裕也ら監督たちとの“出会い”を辿る

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』と『舟を編む』の成功
――リトルモアのフィルモグラフィーの中で決定的な作品をあえて孫さんが選ぶとしたら、何になりますか?

孫:1本目の決定的作品は『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2006年/松岡錠司監督)でしょう。初めて手がけた大劇場用作品でした。今思うに、あれは(原作者の)リリー・フランキーに連れて行ってもらった旅ですよ。2本目は『舟を編む』(2012年/石井裕也監督)でしょうね。これは三浦しをんさんの原作ですが、石井裕也という歳若き人と連れ立った旅です。彼は公開当時29歳ですからとんでもない才能です。「今まで一緒にやってきたスタッフを今回は全員お休みさせろ。僕が連れてきたスタッフでやってみろ」と言って、撮影の藤澤順一、照明の長田達也、美術の原田満生、衣裳の宮本まさ江といった歴々たるスタッフの真ん中に石井裕也を置いたんですね。石井は偉かった。ものすごいプレッシャーだったはずだけど、彼はやり遂げましたよ。あれに比べれば、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年/石井裕也監督)はもうすでに遠い旅をした感覚はありません。勝手知ったる行きたい道を行ってみたら、『キネマ旬報』でも『映画芸術』でもベストワンになってしまったということです。
孫家邦が注目する4人の映画作家

――(インタビュー記事前編で)坂元裕二脚本、土井裕泰監督で3本目を作りたいと表明してくださいましたが、では石井裕也監督とも3度目の可能性はありますか?
孫:彼は今、良いペースで頑張っているから、今のところ「自分の出番はないな」という心境です。もしまた石井裕也が曲がり角を迎えたら「来いよ」と言うかもしれません。あるいは僕の曲がり角だから「ちょっと助けてくれ」と言うことだってあり得ます。「今すごい映画を撮っているこの人に会いたい。こんど僕と一緒にやりましょう」と誰かに言ったことはありません。企画を持ち込んでくれる若い作家さんたちがたくさんいます。「良い本だけど、まあ一杯飲もうか」とそこから始めていきます。監督とプロデューサーは、生活を共にするというほどではないにしろ、どう連帯していけるかをたがいに見出せなければ、映画作りを始めることはできません。『ルート29』(2024年)の森井勇佑、『プロミスト・ランド』(2024年)の飯島将史、あとこれから世に出す予定の若手2人――だいたいこの4人がこれからのリトルモアムービーズの作家になると思います。彼らはまだ若いですからね、彼らと3本ずつというのは僕の残りの寿命を考えると大変ですけど、とにかくステップアップのチャンスを作ることが自分の仕事だと思っています。

――その4人組以外にはもう「これは」という才能はいないですか?
孫:いや、このあいだ『BAUS 映画から船出した映画館』を公開した甫木元空監督は素晴らしいと思います。彼には『ルート29』の主題歌をやってもらったし(Bialystocks「Mirror」)、人柄も素晴らしい。しかしやっぱり彼はうちで撮らない方がいいと思うんですね。別のチーム分けにしておいた方が良さそうな気がします。甫木元空には彼を大事にしてくれるチームが絶対にできていくんです。そこには僕の席はない。これは直感的にそう思います。
――青山真治とも違う、甫木元空とも違う、野武士感というか、それでいて若松プロみたいなアングラとも違う。そういうリトルモアの肌感覚がなんとなくわかります。
孫:むしろ、まったくかけ離れたスクールから、たとえば『霊的ボリシェヴィキ』(2018年)の高橋洋監督とか、ああいう破天荒なばかばかしさみたいなものにコミットするチャンスが1回ぐらい欲しいな、と思います。荒戸源次郎が映画の師匠だと先ほどから話してきましたが、もう一方に秋山道男(1948年〜2018年)という師匠がいるわけです。秋山道男からは物事の面白がり方を教えてもらいました。ばかばかしいこと、くだらないことの中にどう面白味を見出していくかということです。やっぱり思うのは、人との出会いこそ映画のすべてですよ。だからつねに誰かを求めていないといけない。監督たちにも言いたいことですが、風を吹かせたり、良い匂いを出したりする方へと人々が寄り集まってくるもので、出会うことをサボっていると、物事を面白がることも奥手になって、進歩が止まります。これは『片思い世界』のテーマともリンクしてくることですが、大事なのは「好きです」ときちんと伝達できるかどうかだと思います。





















