リリー・フランキーの“普通”の語りが『おむすび』の象徴に 視聴者の写し鏡だった結の人生

『おむすび』視聴者の写し鏡だった結の人生

 震災の喪失を経験した結は最初のうち「どうせすべてなくなってしまう」と思って世をはかなんでいた。が、いまや、「起きるかどうかわからないこと考えて一歩踏み出さんとはお姉ちゃんらしくないよ」と姉を励ますほどになった。震災につぐ震災、コロナ禍と、この30年、災害が踵を返すように起こっている。いつ次なる大地震が来るかもしれないから、備えようという意識は日に日に強まっている。結じゃないが、もしも起きたら手も足も出ないと「どうせ」と自暴自棄になってもおかしくはない。だが、結は、「起きるかどうかわからないこと考えて一歩踏み出さないのではなく「いまこの瞬間を大切に生きる」と覚悟を決めたのだ。それはいまの世の中広がっている冷笑主義とは反対の生き方である。

 冷笑主義とは、俯瞰で冷めた眼で物事を見ること。ドラマにおけるメタシアター的手法はある種、そのひとつといってもいいだろう。メタシアターとは、視聴者が物語に埋没しないように、これは物語ですよと受け手に認識させる表現である。『おむすび』では最終回に、令和7年1月17日放送の『おむすび』第75話を結が観ていた。それこそがメタである。それを、ふんふん、メタシアターね、とあっさり受け止めてもいいし、もっと気楽に受け取めてもいい。どちらでもいいけれど、どちらかといえば楽しんだほうがメンタルにはいいだろう。このメタ展開がユニークなのは、物語と距離をとるメタ方式はいまの時代の物語を「自分ごと」に捉えるブームとは真逆のように見えて、そうではなかったことなのである。まるで合わせ鏡のように、自分たちが通ってきた出来事をテレビドラマが放送しているということは、ドラマで描かれていることがドラマを観ている視聴者のことでもあると思わせる。そこにいる結や歩は、視聴者の写し鏡なのだ。

 『おむすび』in『おむすび』で「令和7年1月17日……」と語っていたのは、リリー・フランキーである。朝ドラの語りはたいていキャラ付けがされている。亡くなった人物だったり、犬や人形の擬人化だったり、最終的に登場する人物だったり、と仕掛けがあった。リリー・フランキーもまた終盤、印象的なゲストキャラで登場するのではないかと予想していた視聴者もいたのではないかと思うが、結局出てこなかった。リリー・フランキーは多彩なアーティストであるにもかかわらず、NHKアナウンサーのように控えめに語り続けたのだ。全125話、目立たず、淡々と、でも柔らかなほんのり温度のある語りを続けていた。熱くなく冷たくもなく、多すぎす、少なすぎず、いや、やや少ないくらいの語りを半年続けていたリリー・フランキー。この語りが、実はこのドラマでとても重要だったように思うのだ。

 「アゲー↑↑」とはしゃぐときも、夢やぶれて涙したときも、いついかなるときも決してアップダウンしない平常心のあの声がドラマの羅針盤だったのではないだろうか。こういう声が、何かあったとき、テレビから、ラジオから、ケータイから、流れてきたら、私たちは深く息を吸って、周囲を見回すことができるかもしれない。私もそんな声で、誰かに声をかけたい。

■放送情報
連続テレビ小説『おむすび』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:橋本環奈、佐野勇斗、仲里依紗、北村有起哉、麻生久美子ほか
語り:リリー・フランキー
主題歌:B'z「イルミネーション」
脚本:根本ノンジ
制作統括:宇佐川隆史、真鍋斎
プロデューサー:管原浩
写真提供=NHK

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