『Flow』がアカデミー賞長編アニメ賞を受賞した意味 ゲームの魅力を映画で巧妙に再現

一見、ストーリーがないように見える本作だが、このように描写を追っていくと、多くの映画作品と共通するように、成長や達成を描く「ビルドゥングスロマン」としての定型を見出すことができる。そこにはむしろ、オーソドックスなものを感じすらするのである。
それだけに、むしろ本作が評価されたのは、それ以外の部分……つまり前述したような、「ナラティブ(語り口)」にこそあったのだと考えられる。生活や文明の崩壊という危機と、仲間たちとの成長という題材を、セリフを排し、説明をしないことで、より没入させることが、本作の最大の面白さであり新鮮さであったということだ。表現力や物量において本作を間違いなく圧倒していた『インサイド・ヘッド2』や『野生の島のロズ』よりも、本作がアカデミー賞などで高く評価されたというのは、この新鮮さゆえだと考えられる。
とはいえ、本作『Flow』は、果たしてそこまで新鮮な表現の作品だったのだろうか。たしかに、映画やアニメーション映画では、ここまでストイックな語り口、表現方法で、ビルドゥングスロマンやさまざまな種が連帯するサバイバルを描いた作品は稀有なのかもしれない。しかし、ゲーム作品に目を移すと、この表現方法の作品は、あまり珍しいものだとはいえないのだ。
例えば『Stray』というゲーム作品では、プレイヤーが猫を操作して、その視点で冒険を繰り広げるという趣向が楽しめるし、詳しい設定などの説明もないままに一人の少年キャラクターを操作させ、進行するなかでプレイヤーの想像を超える事態が起こってゆく『INSIDE』など、本作『Flow』の発表以前に、類似した表現がゲームタイトルには少なくないのである。本作『Flow』の表現は、そのようなゲームジャンルの多様性のなかで、大きく際立ったものだとは言い難い。
本作は映画なので、たしかに猫を操作することはできないが、視覚的な手がかりを追うプロセスには、ゲーム的な能動性を錯覚させる部分がある。そして、「巨大な像に登って洪水を避ける」、「漂ってくるボートに乗り込む」、「犬たちの危機を救う」などの課題が連続する趣向には、一部のアドベンチャーゲームではお馴染みの、直線的な「タスククリア」に近いリズムを感じることもできる。そして、環境が変遷していくことが、“ステージの移行”であるようにストーリーを主導していくことや、遺跡やポータルなど謎めいた世界の核心に迫っていくことが達成感を生じさせることなど、とにかくゲーム的特徴に溢れている。
映画の専門家のレビューで、あまりこのようなことが語られないのは、映画ファンでありゲームの日常的なプレイヤーである層が限られるためだろう。それは、アカデミー賞を選考するアカデミー会員たちも同様なはずだ。しかし一方で、本作『Flow』の内容を革新的だと興奮するようなゲームファンは、それほど多くないのではないだろうか。
そう考えれば、本作が画期的なものだと感じられる理由は、表現そのものより、ゲームのプレイ映像そのままの魅力に、あまり手を加えないようにしながら、映画作品として“最適化”した先駆的存在だったからではないのかという気づきへと行き着く。これはジルバロディス監督の前作『Away』(2019年)にも共通する点である。その意味で本作は、これまでで最も巧妙に、ゲームの魅力を映画で再現した作品の一つだといえるかもしれないのである。いま、多くの映画プロダクションがゲームを映画化しようと動いている。しかし、あくまでそれはゲームを、従来の語り口の映画作品の“題材”として用いようとしている企画が大半であるだろう。
ゲームを題材にしようとする映画のクリエイターのみならず、ゲームの作り手もまた、映画に挑戦しようとする際に魅力を失った例がある。映画『ファイナルファンタジー』(2001年)は、ゲームの『ファイナルファンタジー』シリーズの代表的クリエイター坂口博信が、ハリウッドのスタッフとともに挑んだ超大作だったが、ゲームファン、映画ファンどちらにも訴求しないバランスに仕上がり、興行的成功には結びつかなかった。その結果を考えれば、映画に寄せるのではなく、ゲームはゲームとして、異物のままで映画に参入した方が面白いのではないのか。
ジルバロディス監督はもともとゲームクリエイターというわけではないだろうが、そのような試みを“商業的な”枠で成功させた人物だとして評価できるのだ。それ以前にも、実験的なアートアニメーションにおいては、いまになってみればゲーム的な面白さがあった作品は存在していた。手塚治虫が原案、構成、演出を務めた『ジャンピング』(1984年)や、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の『紅茶の香り(The Aroma of Tea)』(2006年)などは、ある意味で本作の先達といえるのではないか。そしてゲーム業界は、同種の表現を映画業界よりも深く掘り進めていったということだ。
じつは、ハリウッドの大作アニメーションのCGクリエイターは、ゲーム業界でも活躍している場合が少なくない。2つの業界を行き来しながら、どちらの魅力、面白さも知っているのである。しかし、ゲームっぽいものをそのまま映画でやろうと試みる商業的な企画は、あまり世に出なかったのではないか。そういう発想が皆無だったのか、企画が通らなかっただけなのかは分からない。
しかし、本作『Flow』の成功を受けて、ゲーム分野の大勢の実力クリエイターに、映画業界が、これまでにない熱視線を向けることになるのかもしれない。また、ゲームクリエイターたちも映画業界に突破口を見出すことになる可能性もある。そのとき映画は、真の意味でゲームと価値観を共有するものを、さらに洗練したかたちで生み出せるはずである。だがいずれにせよ、そこで重要になるのは、ゲームの魅力を映画の単なる“題材”にしないという姿勢であるだろう。
■公開情報
『Flow』
全国公開中
監督:ギンツ・ジルバロディス
配給:ファインフィルムズ
2024/ラトビア、フランス、ベルギー/カラー/85分/原題:Flow/G
©Dream Well Studio, Sacrebleu Productions & Take Five.
公式サイト:flow-movie.com
























