『御上先生』“御上”松坂桃李を変えた兄・宏太の死 生徒との触発がドラマの推進力に

『御上先生』(TBS系)第6話は今作の魂に触れるエピソードとなった(※本記事にはドラマ本編の内容が含まれます)。
週刊誌に御上(松坂桃李)の記事が掲載された。御上の兄・宏太(新原泰佑)が22年前に校内で自死したことを知り、生徒たちは騒然とする。しかし、御上は「君たちには関係ない」と言って授業を続けた。
「Personal is political」を語り、生徒たちに気づきをもたらしてきた御上が、今度は生徒から自分の番だと背中を押されることになった。教える側と教わる側の立場が逆転したことになる。沈黙する御上に、3年2組の生徒たちは彼らなりの方法ではたらきかける。放課後、富永(蒔田彩珠)は御上を呼び出しゲーセンで対決を挑んだ。
「私たち素っ裸です。なんであんただけ鋼の鎧着こんでるんですか?」
教師と生徒の間には権力勾配がある。「考えて」と促すことは教師と生徒だから成立するものだが、いったん教室を離れれば話は別だ。神崎(奥平大兼)や富永、東雲(上坂樹里)、椎葉(吉柳咲良)が言いたかったのは、要するに自分たちをもっと信頼してほしいということだったと思う。教師と生徒としてではなく、人間としてで、そう思えるくらい、いつしか生徒たちは御上を信用していた。
なぜ御上は隣徳学院へ赴任したのか? 御上が語った内容は本作の原点といえる。「個人的なことは政治的なこと」の「政治」は、イデオロギーや党派的な主張にとどまらない広い意味の政治を含む。その人がその人自身であることで、いやおうなしに生まれる社会との関わりと言ってもいい。発達障害の生徒が進学を認められなかったことに宏太は憤慨し、学校と社会に対して死をもって抗議した。
10代の経験は人生を左右する。自分の「全て」だった兄の死は御上の人生を変えた。「兄のような聡明な人間がどこで歪んでしまったのか」。自問自答する中で、歪んでいるのは社会だと気づいた御上は、教育を変えるために文科省を目指した。硬直化した巨大な官僚組織に挑み無力感にさいなまれていた時、隣徳学院について知った。

























