『べらぼう』は人生に“物語”が必要な理由を教えてくれる 唐丸との別れと蔦重の新たな決意

NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第5回。「蔦に唐丸因果の蔓」と、蔦重(横浜流星)のもとに身を寄せる謎の少年・唐丸(渡邉斗翔)の名前が掛かったタイトルに、「因果」という言葉が入っているのが気になった。すべての結果には、過去の行動が原因になっていて、そして今の決断もまた未来の結果になって自分に返ってくるということ。唐丸は「記憶がない」として過去から切り離された身だが、どうやらいよいよその過去が追いかけてきたようだ。

ひょうんなことから絵の才能があるとわかった唐丸に、蔦重は「当代一の絵師にする」という夢を見た。なぜ唐丸がそんな筆使いができるのか。唐丸がそれまでどこで何をしていたのかはわからない。だが、たとえどんな過去があったとしても関係ないのだ。なぜなら蔦重にとっては、目の前にいるこの健気な唐丸こそが、唐丸のすべてだと思うから。そんな蔦重の「今」にだけ見つめるスタンスは、きっと彼自身がそうして救われてきたからだ。
真実がわからない部分は、むしろ自由に想像できるチャンス。そう言わんばかりに作り話を広げていく。それは、第1回で息を引き取った遊女の朝顔(愛希れいか)が教えてくれたことでもあった。
人生は思い通りにならないことばかり。ならば、なるべく楽しいことを想像して、辛い現実から自分自身を一時的に救い出す。自分で何かを選ぶ自由などなかった朝顔なりの笑顔で日々を生きる術だった。

両親と生き別れて駿河屋(高橋克実)に拾われた蔦重が、今度は唐丸を拾う立場になった。自分が歩んできた道だからこそ、蔦重は自分がしてほしかったことをしようとしたのではないか。それは、なるべく唐丸の意志を尊重すること。「絵師にする」と言ったときも、ハッと押し付けてはいないかと気を配る瞬間があったように。
唐丸もそんな蔦重の期待に応え、新しい人生を歩もうとしていた。それは蔦重が「耕書堂」という新たな号を平賀源内(安田顕)にもらい、自分の人生にもこんな楽しいことがあったんだと目を輝かせたのと同じく、唐丸も「唐丸」という蔦重につけてもらった名前で今まで想像もしていなかった楽しい未来が待っていると心を踊らさせた。

しかし、そんな唐丸のもとに、ある男(高木勝也)が忍び寄る。その男は、唐丸が何者で、あの吉原大火の日に何をしたのか知っているとほのめかす。さらに、その事実が知られれば唐丸自身が死罪になるだけでなく、唐丸をかくまったとして蔦重たちにもあるというから穏やかではない。追い詰められた唐丸は、その男とともに川の中へと身を投げる。後日、男は水死体としてあがったが、唐丸は行方知れずに……。
唐丸が何かを抱えていることに蔦重は薄々感づいていた。しかし、そこを無理に聞き出さないところもまた、蔦重なりの気遣いのつもりだったのだ。そして、唐丸としても蔦重の日常を壊すわけにはいかないという思いから打ち明けることができなかった。そんな2人がお互いを守ろうという気持ちが生んだすれ違いに心が痛む。