小林虎之介、下積み生活で唯一の挫折とは デビューからの足跡を辿る1万字インタビュー

初めて「頑張っても意味ないのかな」って泣きました

――では、ここからは小林さんの歩みにふれさせてください。小林さんはお父さんと映画館で『ボヘミアン・ラプソディ』を観たことがきっかけで、俳優の道を目指しました。地元の岡山から上京して、これまでの日々の中で心が折れそうになった時期はありましたか?
小林:下積みと言われる期間が3~4年あって、その間も基本的に前を向いてはいました。ただ、今思い出したのが、『下剋上球児』の1年くらい前に、ゴールデンタイムのドラマのオーディションがあって。出番も結構あるいい役だったし、監督もすごく有名な方。これを取れたら人生が変わるっていうやつで、これは絶対に取るぞって、すごい気合を入れて臨んだんです。オーディションを受けると決めた日から、日々の過ごし方も全部変えて。木村拓哉さんの『未来への10カウント』(テレビ朝日系)というドラマで、木村さんが学生たちにリング上から「誰にも負けてないと思えるくらい努力しろ」ということを言うんですけど、それを観て、僕もスイッチが入っちゃって。同じような売れていない役者の中で、自分がいちばん頑張っていると思えるくらい努力しようと、とにかく24時間ずっと芝居のことだけを考えて、時間があったらいろんな作品を観て。オーディションの当日も、僕を含めて8人くらいいたのかな、他の人がやっているのも見られる環境だったので、自分以外の人のも全部見て。「大丈夫だ、絶対俺がいちばんだ」ってすごい自信満々で、「これはもう取った」と思って控え室に戻ったら、すぐにその場で合格者が発表されて。そしたら、違う人が呼ばれたんです。
――それはショックですね……。
小林:違う子が選ばれたということに頭が真っ白になって、お芝居の神様っていないんだなと思いました。悲しいというより、本当、頭が真っ白ってこういうことを言うんだなって感じで。トボトボと帰っていたら、ちょうど会場の門のところでマネージャーから電話が来て。どうやら、うちのマネージャーにプロデューサーの方から電話がいったみたいで。「芝居は本当に良かったけど、今回は役との見た目のイメージが大事だから残念ながらご縁がなかった。いつか機会があれば一緒に仕事がしたいです、と監督が言っていた」というようなことを伝えてくれたそうなんです。それを聞いて、「そうですか。本当に今回は取れなくてすみませんでした」ってマネージャーに言った途端、滝のように涙が出て。もうその場で崩れ落ちるくらい泣きました。僕、マネージャーの前で泣いたことないんですよ。でも本当に悔しくて。「頑張っても意味ないのかな」ってマネージャーに言って。あのときは本当にくじけちゃって、もうお芝居も何も見たくないって時期がちょっとありました。
孤独に芝居と向き合った経験が、武器になっている

――それまでの日々はどんなふうに過ごしていたんですか?
小林:週1でレッスンがあって、あとはバイトと、ひたすら作品を観ていました。まず朝4時に起きて、肉体労働のバイトに行って。早朝だと時給がいいんです。で、定時は8時なんですけど、大体終わらないんで、いつも9時くらいまで残業して、家に帰るのが10時くらい。そこからドラマや映画を2~3本観て、午後5時から夜の10時半までスーパーのバイト。終わったら、家に帰って速攻で寝て、また朝の4時に起きてバイトに行くっていう生活でした。
――めちゃくちゃハードじゃないですか。
小林:そのとき、歯の矯正をしてたんですよ。ローンがヤバくて、とにかく稼がないといけないけど、時間はとられたくないから、高時給で大変なやつを選んでやっていました。正直、その頃は孤独でしたね。レッスンに行っても、余裕がないから、周りにいる人はみんな敵だと思っていたし。普段は人とわりとしゃべるほうなんですけど、そのときは誰ともしゃべらずって感じで。友達はみんな岡山だから、東京に友達もいなくて、ずっと孤独を感じていました。でも、その経験が活きているのかなと最近は感じてもいます。
――孤独だったことが活きている?
小林:自分で自分の芝居を映像で見ていて、陰があるなと感じることがあって。たぶんそれは孤独だった時間が陰の深さに関わっているのかなと思うんです。とにかく自分を追い込んで孤独に芝居と向き合った経験が、今の自分の俳優としての一つの武器になっているのかなというのは思いますね。
――ちょっと話の腰を折りますが、歯の矯正をしたって隠さず言っちゃうところが小林さんらしいというか。記事にしづらいですけど(笑)。
小林:ああ、いいですよ、全然記事にしてもらって(笑)。
――それ以外にも、いずれタバコを吸う役が来たときのために、売れていない時期に喫煙をしてタバコを吸う仕草を自分のものにしたとか、『下剋上球児』の前にICL手術を受けたとか。いつか花開く日のために、何者でもない頃から努力をしていた姿勢が、今の小林さんをつくっているのだと感じます。
小林:売れるためにできることはなんでもやっていました。お金は全然なかったので、なんとか捻出してって感じでしたけど。だから、食費を月1万円に抑えたりとか普通にやっていましたね(笑)。何かのタイミングでブレイクしたとして、そこからすぐに歯の矯正も目の手術も難しいだろうなと思って、売れていない今しかできないことだから、とにかく自力で整えられるものは整えようと。そういう意味では、いい下積み生活を送れたと思っています。
――一度心が大きく折れて、それでもやっぱり芝居をやろうと思えたのは何があったからですか?
小林:やっぱりお芝居がしたいと思ったからですね。オーディションが終わって2週間くらいは本当に何もする気が起きなくて、空っぽでした。でもずっとお芝居が中心の生活だったから、それがなくなるとやることがなくて。他にやりたいことが見つからなかったんですよね。徐々にお芝居への熱が上がってきて、1カ月くらいしてレッスンを再開しました。そもそも役者になりたいと思ったから、今の自分があるわけで。その想いがある限り、僕はお芝居をするんだろうなと今は思っています。



















