アルフォンソ・キュアロンが描く深刻な人間ドラマ 『ディスクレーマー 夏の沈黙』の独自性
誰かが書いた小説のページをめくっていたら、登場人物が自分自身であり、自分の過去の物語が綴られていることに途中で気づいたとしたら、誰しも驚くのではないか。『ディスクレーマー 夏の沈黙』は、そんな異常な状況をきっかけに展開する、深刻な人間ドラマを描くドラマ(リミテッド)シリーズである。
映画、ドラマなどのオリジナル作品に、現在多額の製作費を投じているApple TV+。利用者側が経営状態を心配するほど、予算をかけた作家性の強いラインナップが魅力で、映画、ドラマファン垂涎の作品が次々と送り出されている。先ごろ配信が始まった、巨匠アルフォンソ・キュアロンが監督・脚本を務める本シリーズ『ディスクレーマー 夏の沈黙』も、その一端を示している。
基になったのは、BBCでドキュンタリー番組のディレクター、脚本家としてのキャリアのある作家、ルネ・ナイトの小説デビュー作にして、巧みな展開が話題となった心理スリラー『夏の沈黙』だ。キュアロン監督は『ROMA/ローマ』(2018年)を手がける以前から、この小説の映画化を企画していたが、物語の内容を十分に描くためにはシリーズ作品として映像化した方がいいと判断したという。
ケイト・ブランシェットが演じる、本作の登場人物キャサリン・レイヴンズクロフトは、原作者ルネ・ナイトの人物像を想起させる、成功したドキュメンタリー作家だ。彼女の平穏な生活は、ある日家に届いたペーパーバックの内容によって、大きく揺るがされることになる。
小説のページをめくると、「免責事項(ディスコレーマー)」として、「これはフィクションであり、実在の人物、団体とは一切関係ありません。」などと書かれている場合がある。もし、偶然に実在する人物や団体に似ているものを悪く描き、名誉毀損などで訴えられてしまうケースを考えての措置である。しかし、本シリーズの劇中でキャサリンが開いた本「行きずりの人」には、「実在の人物との類似は偶然ではありません。」と記されている。つまり、ここには実話が書かれているという意味である。
そこに綴られていた物語は、ある青年が旅行先で、ある人物との運命の邂逅をするというもの。そしてその人物こそが、キャサリンその人だったのである。同時に、小説のなかで描写される彼女の行動は、キャサリンの社会的地位や、彼女の夫(サシャ・バロン・コーエン)や息子との家族関係をも失墜させかねない破壊力を秘めていた。
本シリーズは、キャサリンの精神が追いつめられ、家族との関係に危機が訪れていく物語だけでなく、ある青年がイタリア観光をする物語や、妻を亡くして一人暮らしをする老年の男性(ケヴィン・クライン)が書籍を出版しようとする物語などが語られていく。原作小説同様、当初はそれら複数の物語それぞれの関係性は明らかにされないのだが、展開が進行していくにつれ、その繋がりが鮮明になっていくという趣向となっている。
通常、このような構成はドラマシリーズには向いていないかもしれない。なぜなら、多くの視聴者は一つひとつのエピソードに感情移入することでドラマの世界に没頭するものだからだ。シチュエーションそのものが作品のなかでどのような位置づけにあるのか分からない状態で鑑賞するというのは、十分に感情移入を促せないばかりか、ストレスすらおぼえさせかねない。映画作品であればまだしも、エピソードがいくつもあるシリーズ作品では、途中で視聴者が離脱してしまうおそれがあるのだ。
そんな手法でもドラマシリーズが成立し、なかなか判然としない物語に見応えを与えているのは、ケイト・ブランシェットやケヴィン・クラインらの表現力はもちろん、優れた美術や撮影による映像が、異常なほど凝り性といえるキュアロン監督の緻密なコントロールによって支えられているからだろう。だから状況の意味はよく分からなくとも、一つひとつのシーンに強烈に惹きつけられるのである。