『キン肉マン』の“完璧な”再アニメ化に大感激 リアルタイム熱狂世代が語るカッコよさ
9月22日に一旦完結した『キン肉マン 完璧超人始祖(パーフェクト・オリジン)編』。毎週日曜、ただただ幸福な夜を過ごした。このアニメに関わったすべての方にお礼を言いたい。ものすごくいいところで完結してしまい絶命しかけたが、すぐにSeason2が2025年1月から始まることが判明。無事蘇生した。
過去『キン肉マン』は、1983年と1991年の2回、アニメ化されている。3回目となる今回のアニメ化が、なぜこんなにも素晴らしかったのか。なぜこんなにも、観る人の血を燃え滾らせてくれたのか。なぜこんなにも、涙を堪えながら観なければいけなかったのか。
それはひたすら待ち望んだ、初めての「原作準拠」の『キン肉マン』だったからだ。実に約40年待たされた(左手で4、右手で0を作りながら)。そうだよ。僕たちが本当に観たかったのはこれだよ。これまでの人生、いろんなことがあった。死にそうになったこともあった。死にたいと思ったこともあった。死ななくてよかった。生きててよかった。完璧な『キン肉マン』を、観ることができたのだから。命があることに感謝した(本当)。
1974年生まれの筆者は、『キン肉マン』をリアルタイムで連載中に体験できた幸福な世代だ。当時の男子小学生の95%は『キン肉マン』を熱読していたと思われる(筆者の体感)。1983年にアニメ化された『キン肉マン』は、大ブームを巻き起こす。当然筆者も毎週観ていたし、映画も欠かさず観に行ったし、キンケシは段ボール箱いっぱいに集めた。父に頼んで、初めて牛丼屋にも連れていってもらった。このように完璧にブームに踊らされながらも、筆者の中ではどうしても拭い去れない疑問があった。
「どうして原作通りにアニメ化しないんだろう」
当時のアニメ版『キン肉マン』は、原作に比べて、明らかに対象年齢を下げていた。ところどころに、小学校低学年向けのギャグがまぶされていた。確かに原作漫画自体が、開始時点では1話完結のヒーロー・パロディ・ギャグ漫画だった。その後、徐々にバトル漫画化していき、「友情・努力・勝利」の熱い熱い物語となっていった。ギャグ要素は極めて少なくなり、シリアスな展開となっていく。
アニメ版は、物語初期のギャグ的ノリのままで超人バトル編に突入してしまった。そのため、本来ちゃかす要素など一切ないはずの熱い名シーンにも、無理やりギャグをねじ込んできた。メイン視聴層である小さなお子様を飽きさせないため。今ならその理由も理解できる。だが、原作屈指の名勝負、テリーマン対ザ・魔雲天の戦い。1トンの体重を乗せた魔雲天ドロップで圧殺されたと思われたテリーマンが、死んでいった仲間の思いを背負って逆転するシーン。そんな感涙必至の名シーンにまでギャグを挟み込んだことは、40年たった今も許していない。
アニメ版『キン肉マン』に無理やりねじ込まれるギャグについて。そんなテーマで友人たちと議論したことはない。そんな疑問を挟み込む余地がないほどの、爆発的人気だった。だが、当時筆者と同じ疑問を抱いていた小学生たちは、相当数いたと思われる。そして彼らも、「いつか原作通りの、熱く、カッコよく、最高に泣ける『キン肉マン』のアニメが観たい」と思っていたのではないか。
あれから40年たち、突然その夢が叶った。Production I.Gが制作した『キン肉マン 完璧超人始祖編』。その初回放送分(プロローグ的に「第0話」と銘打たれている)を観た感想は、先述の通り「生きててよかった」ということだ。
仲間たちが見守る中、キン肉マンの結婚祝いとして、新郎・キン肉マンと盟友・テリーマンのガチスパー(試合ながらの本気のスパー)が行われる。「なぜ結婚祝いにガチスパーを?」などと考えてはいけない。それが、戦うために生まれた「超人」という生き物たちなのだ。
スパーの前に、テリーマンが拳にバンテージを巻く。その際、定石通り拳の上に厚めにバンテージを折って重ね、“アンコ”を作っている。このバンテージを巻くシーンは、適当に拳周りに包帯を巻き付けているだけの描かれ方をよく見る。だが、さすが今作は、バンテージの巻き方ひとつにも手を抜かない。序盤のこのシーンを観た時点で、制作陣の“本気度”を感じた。