『海のはじまり』は“選択”を肯定する物語だった 『くまとやまねこ』と重なる人生の旅
『海のはじまり』(フジテレビ系)に登場する絵本『くまとやまねこ』(湯本香樹実・文、酒井駒子・絵、河出書房新社)において、「くまくん、ことりはもうかえってこないんだ。つらいだろうけど、わすれなくちゃ」と周りの動物たちに言われ、なかよしのことりの死を受け入れることができないくまが、部屋に閉じこもってしまう場面がある。
それはどこか『海のはじまり』第11話終盤の海(泉谷星奈)のようだ。それからくまは、やまねこと出会い、彼のバイオリンの演奏を聴きながら、ことりが生きていた頃のことをたくさん思い出す。海にとっての亡き母である水季(古川琴音)の存在を終始感じさせる『海のはじまり』最終話である第12話は、まさにそんな「くまが聞いた、やまねこが奏でる音楽」だったのだと思う。
生方美久のオリジナル脚本、風間太樹、髙野舞、ジョン・ウンヒの演出による『海のはじまり』が最終話を迎えた。生方美久が描く作品の世界を「優しい世界」だと言って誤魔化すのはよそう。「優しい世界」は時に残酷である。生前の水季と海を傍で支え続けた津野(池松壮亮)は、名前のない関係だったばかりに「家族」ではないからと疎外され、夏の恋人・弥生(有村架純)は、夏と海と「いないけれどいる」水季との3人の世界に入れずに、夏との別れを決める。朱音(大竹しのぶ)と翔平(利重剛)は、海が夏の元に行ったことにより、娘・水季を失ったことを含めて「2人分寂しく」なってしまう。夏もまた、「亡くなる前の水季と一緒にいた」人たちの悲しみと自分の悲しみを比較し「羨ましい」と感じることもあると、引け目を感じて過ごしてきたにもかかわらず、終盤「水季と一緒にいた人同士」結託した津野と海に「いなかったこと」を責められる。
つまり本作は、『いちばんすきな花』(フジテレビ系)において描かれた「2人組になれないひとり」たちの話ではないが、誰かが誰かを愛するがゆえに生まれる密接な繋がりは、そこに入れない誰かを容赦なく傷つけずにはいられないことを、事細かに描いている。そしてその、登場人物それぞれの、普段言葉にすることはない心の内側に秘めた哀しみを掬い上げていくかのような本作の手法は、視聴者がかつて経験したことのある心の痛みを貫くがゆえに、誰に共感し、感情移入するかで、全く見方が異なるドラマとしての面白さがあった。
本作のキャッチコピーはポスタービジュアルに書かれていた通り「選べなかった“つながり”は、まだ途切れていない」である。今思えばそれは、生まれていたことを知らされていなかった父・夏と娘・海の関係性、もしくは亡き水季と夏のつながりのみを示しているのではなく、本作が第11話まで丹念に描いてきた、それぞれの登場人物たちにとっての「選べなかった“つながり”」を意味していたように思う。最終話である第12話が描いたのは、それでも彼らが「選べなかったつながりを絶やさず生きていく方法」であり、各々の「選択」を肯定する物語だったのではないか。