永瀬廉、『よめぼく』で“揺れ動く”人物像を巧みに表現 同情を滲ませない眼差しの優しさ
先に旅立つ側と残される側の葛藤が描かれることが多い“余命”が題材の作品だが、その2人共が消えゆく命の灯火に向き合う作品というのは稀ではないだろうか。
Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』(以下、『よめぼく』)の登場人物は、その名の通り余命1年の宣告を受け急に美術の道が閉ざされたかのように感じている17歳の少年・早坂秋人(永瀬廉/King & Prince)と、余命半年の宣告を言い渡されている入院中の桜井春奈(出口夏希)だ。
はなから期限付きの2人が病院の屋上で偶然出会うが、そこには悲壮感は漂わない。瑞々しい2人とそんな彼らを追う終始陽だまりの中にいるかのような色調の映像は、“死”の匂いとは程遠く感じられる。
死ぬことが怖くないという春奈の気持ちが知りたくなり、彼女の病室に足繁く通うようになる秋人。当初彼女のことを花屋の店主に“同志”と話しており、確かに戦友のような感情を覚えていたのだろう。しかし、ともするとこれは残酷な行為にも映りかねない。自身よりも残された期間が短い方に近づき、自分ではまだ見つけられていない気持ちの置き場所を見出そうとしているようにも思えるからだ。
ただ、本作がそれを免れているのは、秋人が春奈からの「長生きしてほしい」という無邪気な願い事を託されてしまう展開ゆえだ。さらには、秋人がこの酷な春奈からの願いと彼女の世界を、たとえ嘘をついてでも必死に守り抜こうと決めたからだろう。
永瀬廉が演じる秋人には、気丈に生きる春奈への尊敬や興味の眼差しはあっても、そこに同情や憐みの色は一切滲まない。だから、春奈も安心して一緒に彼と過ごせたのだろう。これは永瀬が『厨房のありす』(日本テレビ系)で演じた役どころとも通じるように思える。自閉スペクトラム症の天才料理人のありすを近くで支える倖生にも、彼女を眼差す際に同情は一切なかった。
また、毎日彼女の病室を訪れ、昔仲違いしてしまった友人との関係を修復させ、それでもなお、秋人には善人面をしているというようなところが一切滲まないのだ。この塩梅を少しでも間違えてしまえば、簡単に嘘臭さが出てしまいかねないキャラクターだが、永瀬が演じることで“突然ポジティブに変化したスーパーマン”のようには決してならない。それは永瀬の“揺れ動く”人物描写の抜群の上手さにあるだろう。言葉数は多くなくとも、また彼女を想ってつく嘘の裏にも、秋人の優しさと常に自問自答している様子が見て取れる。実際に発する台詞同様に、あるいはそれ以上に、思わず飲み込んだのであろう言葉やどうしても言えなかった言葉の気配を感じさせられるのだ。