『クワイエット・プレイス:DAY 1』はホラー度低め? 終活ロードムービーとしての味わい

『クワイエット・プレイス:DAY 1』の味わい

 途中で劇場を出て行った人がいたが、俺の隣の人は号泣していた。『クワイエット・プレイス:DAY1』(2023年)は、それくらい観客を選ぶ映画だ。ダメな人は本気でダメだろうが、ハマる人にはものすごくハマるだろう。隙も多いが、ツボにハマった時はおそろしく強い……!! というのも、本作はホラー要素が今まで以上に低く、代わりにヒューマンドラマ度がアップしているのだ。

 音を立てると謎のバケモノがすっ飛んできてブッ殺される。“音を立てたら死ぬ”ので、何があっても音を立てないようにサバイバルしなければならない。『クワイエット・プレイス』シリーズ(2018年~)は、ガキ使(日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』)の「笑ってはいけない」の殺人バージョンみたいなお話だ。シンプルなようで、実は「音を立てる」つまり「目立つ」と潰される社会の喩え話にもなっている。そして1作目の『クワイエット・プレイス』と2作目の『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』は育児がテーマになっており、静かにできない赤ん坊を、騒音に異常に厳しい社会でどう育てるか?が描かれた。これは現実の親御さんたちが直面しているリアルな問題でもある。電車の中とかで泣きじゃくる赤ん坊を、必死であやしている親御さんたちは珍しいものではない。我々は別にすっ飛んで行って人を殺すバケモノではないが、露骨に迷惑そうな顔で家族を睨んだり、親御さんに罵声を浴びせるような、攻撃的な人間はいる。そういう人を極端にデフォルメしたのが『クワイエット・プレイス』シリーズのバケモノであるように思う。

 本作『DAY1』は、そんなバケモノが初めて地球にやってきて、人類が物音を立てられなくなった日を描くシリーズの前日譚だ。そして今回のテーマは育児から一転、人生の終え方、いわゆる「終活」である。

 もう余命が残っていない末期ガン患者のサミラ(ルピタ・ニョンゴ)は、ホスピスで鬱屈した日々を送っていた。退屈なセラピーでは悪態をつき、心を許せるのは飼い猫だけ。しかしグループで出かけた先のニューヨーク・マンハッタンで、バケモノが空から降ってきた。あたりは大混乱に陥って、ホスピスの知人らも惨殺される。ただでさえ死にそうなのに、バケモノまでやってきた。もうダメだと思った彼女は、子どもの頃に大好きだったピザ屋へ行くことにする。「死ぬのは、あのピザを食べた後だ」避難する人並みに逆らって、ピザ屋を目指すサミラ。その途中、彼女は途方に暮れる青年のエリック(ジョセフ・クイン)と出会うのだった。

 まず断っておくと、残念ながらモンスター映画的な面白さはあまりない。バケモノは出てくるが、相変わらずサッと襲ってバッと去るスタイル。大バケモノが出てくるとか、バケモノの超厄介な性質が明らかになるとか、そういう展開はなかった。特に残念だったのは、せっかく都市部を襲っているのに、戦闘シーンがなかったことだ。私は米軍とバケモノのガチンコ対決が観たかったので、この点は残念である。仕方ないので、家に帰った後に『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』(2007年)の州兵が全滅するシーンと、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)で小さいギャオスを福岡ドームで撃ちまくるシーンを観て憂さを晴らした。現代兵器を持った人類がギリギリ対抗できないバケモノってイイですよね。

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