アニメキャラの魂は“声”か“絵”か 「声優変更」が「キャラデザ変更」以上に論争を呼ぶ理由

アニメキャラクターの魂は“声”か“絵”か

 2022年に劇場版もヒットした人気アニメの最新シリーズ『ゆるキャン△ SEASON3』の放送がこの春から始まった。SEASON1から劇場版の制作までを担当したC-Stationから、SEASON3の制作を引き継いだのは、『ヤマノススメ』などで知られるエイトビットだ。

 制作会社が変わった影響もあり、キャラクターデザインなど絵柄のテイストが前シーズンまでとは異なっており、全体的に大人びた印象を受ける。劇場版では大人になったなでしこたちが描かれたが、今期は再び高校時代の話ではあるのに、大人時代の彼女たちより大人びて見える時もある。

TVアニメ『ゆるキャン△ SEASON3』2024年4月より放送 第1弾ビジュアル&キャラ設定画も

TVアニメ『ゆるキャン△ SEASON3』が2024年4月より放送されることが決定。あわせてイメージビジュアル第1弾とキャラ設定…

 とはいえ、各キャラクターが別人と認識するほど大きな変化があったわけではなく、あくまで絵柄の方向性の変更であって、多少テイストは異なるものの作品の魅力は充分に表現されている。制作会社や監督、主要スタッフが変われば作風にも何らかの影響があるのは当然のことで、こうしたことはアニメ業界ではこれまでにも度々あった。絵柄の変更は多少なりとも議論にはなるが、概ね視聴者は慣れていく。比較するとSEASON3のデザインはより原作に近づいたとも言える。

 絵柄の変更以上に、昨今大きな議論の的となるのは声優の変更だ。アニメとは絵で描かれたキャラクターが動き、それに人が声の芝居をつけるもので、アニメーターと声優はともに演技を作る役者である。映像作品は一般的に視聴覚メディアであり、絵と音で構成されるが、アニメというのはその2つを分離して作るものである。同じ肉体から動きと声を発する生身の俳優を用いる実写とはそこに違いがある。このことは、アニメのキャラクターの魂はどこに宿るのかという問いを生んでいるのではないか。

 生身の俳優が演じる実写映画において、登場人物の魂がどこにあるのかと問う必要はない。全ては俳優が体現しているからだ。しかし、ボディと声を分離して制作するアニメにおいて、キャラクターの魂はどこにあるのか、これは結構ややこしい問題かもしれない。

絵は集団作業、声は個人作業

 アニメ制作は集団作業で、ひとりのキャラクターを描くためにたくさんのスタッフが関わっている。原画だけでも数多く存在するし、さらに中割りの動画、色を塗るのは仕上げの仕事だ。たくさんの人間が精魂込めて絵のキャラクターを動かすために技術を注いでいる。

 多くの人間が同じキャラクターを描くために、アニメにはキャラクターデザインという役職が存在する。細かいキャラクターの外見の設定の共通理解を作っておかないと、絵を描く人間が変われば、全く違うキャラクターになってしまうからだ。マンガを原作とする場合、原作の絵を多くのアニメーターが共通して描ける絵柄へと変更し、動かすことなども考えて線を簡略化するなど様々な工夫をこらしていく。その方針は監督やキャラクターデザイン担当者が決めていく。つまり、マンガからアニメにする時点ですでに絵柄は変わっているのだ。

 それでも視聴者はアニメに登場するキャラクターを、マンガと同一だと認識する。絵柄が変わっても同じキャラクターだと視聴者が認識できるのは、キャラクターの記号的特徴をきちんと引き継いでいるからだ。

 髪型や色、目の大きさや形、その他の顔のパーツ、身長、体格、服装などそうした記号的な特徴の組み合わせでアニメのキャラクターは成り立っている。描く人間によって絵柄の癖や方向性が異なっても同じキャラクターだと認識できるのは、このマンガ・アニメの記号的な表現スタイルによるところが大きい。記号的な表現の利点は二次創作を考えるとわかりやすい。まるで異なる絵柄であってもキャラクターの外見的特徴を備えていれば、同じキャラクターと認識しうる。

 そもそも、アニメやマンガのキャラクター表象はそういう記号性を前提にしているので、絵柄が変わることに寛容と言える。大量のスタッフによって作られることを前提にしているので、その寛容さがないと作れないとも言えるかもしれない。

 同じ作品の中でも、二頭身にデフォルメしたりといった絵の可変性を前提にした演出テクニックも多数あるため、視聴者も「絵が変わる」ということに対してある程度の寛容性を持っているというか、それが前提であると認識していると思われる。

 そもそも、それがアニメーションという表現の本質でもある。モンタージュ理論で有名なセルゲイ・エイゼンシュテインは、自由に身体を伸縮させるディズニーのアニメーションを見て、そうした形状変化を許容するのがアニメーションの持つ魅力であるということを「原形質性」という言葉で表した(※)。

 ただ、かつてのテレビアニメは各話で作画監督がそれぞれの個性を発揮して、エピソードごとに絵柄が異なることも多かったが、近年は作画監督の上に総作画監督を置いて、全話の絵柄を統一する方向で作られることが多くなっており、絵柄の違いを楽しむという作法自体は減っているかもしれない。

 アニメのキャラクターの絵がいつも違う人間によって描かれている一方、声を演じているのは常に同一人物だ。

 その点で原形質的に変化しうる外見の記号的特徴とともに、キャラクターの同一性を担保しているのは声であると言えるかもしれない。実際、同じ声優が毎週声の芝居を演じ、絵のほうは毎週違うアニメーターが描いているということは、魂の同一性という観点で言えば、声の芝居を司る声優のほうが魂を担っていると解釈するのは、さほど不自然ではないかもしれない。

 それゆえ、声優の変更は絵柄の変更以上に大きな争点となりやすいのだろう。

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