『光る君へ』が斬新な大河になった理由 吉高由里子×柄本佑だから成立した“メロドラマ”
NHK大河ドラマ『光る君へ』が始まってから5カ月が経過した。
1月にスタートしたときは、まひろ(落井実結子/吉高由里子)の少女時代から描かれ、彼女が幼いころから、大人の営みをじっと見つめており、疑問に思ったことを、自分の中でじっくり考えて育てていく様子を見て、「この少女は“書く”ということを選んでいくのだな」と思われて楽しみになった。
まひろは少女時代からいくつかの疑問を持っていた。ひとつは、なぜ父親の藤原為時(岸谷五朗)には、ちやは(国仲涼子)という嫡妻がいながらも、夜な夜な別の女性のもとにいっているのかということであった。そのことに気付いていて、「なぜ父上は家をあけて平気なの?」と率直に尋ねるシーンがあった。
またまひろは、学がありながらも、なかなか官職に就けない為時を思い、母のちやはが願掛けで神社に毎日お参りをしたりと献身的に尽くしているために、かつては弾いていた「琵琶」を最近はひけていないことにも疑問を持っていた。
第1回の最後には、そんな献身的な母が藤原道兼(玉置玲央)によって殺されてしまう部分が描かれ、彼女の中にさらなる疑問が生まれるシーンで終わっていた。
その後は、ラブコメの部分と、平安期の宮廷内の争いが描かれ、それがうまく両立していることに驚いた。というのも、大河ドラマには、恋愛やラブコメ要素は、そこまで重要ではないものとされるイメージが強かったせいだ。このドラマを観れば、ラブコメの部分をしっかりと描くことが、これまでの概念を覆す挑戦であるようにも思える。
もっとも、実際にも平安時代には、“恋愛”が政治に重要な意味を持っていたとのこと。確かにそのような目線でこの『光る君へ』を観れば、第1回から、入内(じゅだい)という言葉が頻繁に出てきて、娘が天皇と結婚することが、いかに宮廷で権力を得るのに重要であったかがうかがえてくる。
入内(じゅだい)にこだわることは、当然のごとく“家父長制”にもつながっている。第1回から「入内、入内」と呪文のごとく繰り返していた藤原兼家(段田安則)は、老いて死期が近づいたときに、息子の藤原道長から「父上の目指す真の政(まつりごと)は何でございますか?」と尋ねられ、「まつりごと、それは家だ。家の存続だ。人はみな、いずれは死にくわれて土にかえる。されど、家だけは残る。栄光も誉も死ぬが、家は生き続けるのだ」と語るシーンには、衝撃を受けた。ここまで「家」についてストレートに語ったキャラクターはいただろうかと。ここまでのストレートなセリフを聞けば、これは「家父長制」のことを示唆しているのだということもわかる。
そのすぐ後に、まひろの弟・惟規(高杉真宙)の乳母のいと(信川清順)が、家の困窮状態を見て、「お暇をいただくしかない」と為時に告げるも、「行く当てなどないだろう」「この家はおまえの家である。ここにおれ」と返していたのをみて、血縁で「家」をつなぐことを第一としている兼家と、血縁によらない「家」を作っていく為時のコントラストが印象に残った。