宮藤官九郎のドラマ論が詰まった『不適切にもほどがある!』 岡田将生の“正しい”起用も

宮藤官九郎のドラマ論が詰まった『ふてほど』

 連続ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)の第7話が放送された。

 本作は、昭和の体育教師・小川市郎(阿部サダヲ)が令和にやってきたことで起こる騒動を描いた、意識低い系タイムスリップコメディ。

 脚本はクドカンこと宮藤官九郎。昭和と令和の価値観の違いを市郎の目を通して描くコメディとして始まった本作だが、第5話で1995年の阪神・淡路大震災で市郎と娘の純子(河合優実)が亡くなることが判明。それ以降、物語は重層的な人間ドラマに変わりつつある。

 自分たちの運命に思い悩む市郎は、純子を令和に連れて行き、純子にとっては娘となる犬島渚(仲里依紗)と、夫のゆずる(古田新太)に会わせ、4人でいっしょに一時的に暮らすことになる。

 渚とゆずるは肉親であることを隠して純子と同じ時間を過ごすことになるのだが、秘密を抱えた4人のやりとりは年齢と外見のズレがあるホームドラマとして面白く、タイムスリップという設定がうまく活かされている。

 「お母さんじゃない。妻でもない。俺の娘だ」と市郎が言う場面からも分かるように、純子は渚にとっては母、ゆずるにとっては妻で、市郎にとっては娘だ。

 つまり三者三様、それぞれの立ち位置から見た純子が存在しているということが描かれている。さらにそこに純子が恋に落ちる美容師のナオキ(岡田将生)の視点も加わり、17歳の恋する少女としての純子の姿も描かれる。

 人間は複雑な生き物で、関わる人の数だけその人の顔があるという多面性こそが、クドカンドラマの人間観である。そのため、当初は記号的なキャラクターに見えた登場人物が時間を重ねるごとに様々な表情を見せるようになっていく。

 それは、さわやかで優しい好青年として登場したナオキにも言えることだ。

 見た目はカッコいいが性格に問題のある闇を抱えた青年の役を得意としている岡田将生が演じていることもあってか、純子は騙されているのではないか? もしくは途中でナオキの邪悪な性格が判明して、酷いことが起きるのではないかと不安でならなかった。

 純子が席を外した時に置いていった生徒手帳に書かれた生年月日を読んだナオキはスマホで撮影して「なんすかこれ」と渚に送画像を送る場面の見せ方もサスペンス調で、彼が何をやらかすのかと心配だった。だが、この見せ方は岡田将生のパブリックイメージを逆手にとったミスリードであり、スマホを落として迷惑をかけるというミスはやらかしたものの、基本的には凄くいい人だったとわかる流れには、うまく騙されたと思った。

 一方、純子とナオキの話と並行して描かれるのが、脚本家のエモケンこと江面賢太郎(池田成志)が、17歳の少女と新米ライターが出会い一夜を過ごすドラマの脚本を練り上げていく姿だ。

 この二つの物語に、某国の王女と新聞記者の1日だけのデートの様子を描いた名作映画『ローマの休日』を重ねるというのが第7話の構成。エモケンの執筆する姿を通して語られるテレビドラマ論が市郎の人生論と重ねられていたのが興味深かった。

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