『不適切にもほどがある!』阿部サダヲの力説に胸が詰まる 純子の娘・渚の切なる願い

『ふてほど』阿部サダヲの力説に胸が詰まる

「いつか終わる、ドラマも、人生も。だから、そのギリギリ手前までとっちらかってて、いいんじゃないかね」

 ああ、そうか……と、納得してしまった。金曜ドラマ『不適切にもほどがある』(TBS系)を個人的に面白く観ている理由は、とっちらかることを恐れていないからなのだと。令和的にアウトなセリフや表現も、「そういう時代だったんで」というテロップで押しきる大胆さ。そこにコメディとしてのおかしさもあるが、それ以上に物議を醸し出すリスクを取ってでも作りたいドラマなのだという気概を感じていたのだと気づかされる。

 もちろん、リスクヘッジは大切だ。明らかに誰かを傷つけることは避けるべきだし、配慮を続けた結果「不適切」とされてきた歴史がある。けれど、そのライン引きは実に曖昧だ。だから、そのギリギリを攻め、失敗するかもしれないチャレンジにこそ釘付けになる。まるで綱渡りを見守るような手に汗握る感触がこのドラマにはある。

 第7話のサブタイトルは「回収しなきゃダメですか?」。ドラマ視聴者がSNSでつぶやく言葉に、散々振り回される脚本家の江面(池田成志)の姿が描かれた。それは、現在進行系で我々視聴者がドラマ制作側にかけているプレッシャーそのものかもしれない。江面の言うように「完璧な起承転結」「一話からの伏線を全部回収して、最後のピースがラストでズバッとハマってエンドマーク」なドラマは気持ちがいい。観ている側としても「あのときのアレが、ここでつながっていたとは!」とか言いたいし、作った側としても「ちゃんと伝わった!」と、その反応を楽しみたい欲もあるだろう。

 しかし当然ながら、鮮やかな伏線回収だけが優良ドラマの必須条件なわけではない。回収することばかりにとらわれて、ドラマの結末が見えないと筆が進まないという江面に対して、市郎(阿部サダヲ)が「悪いが、そんなのは傲慢だと思うね。どうなるか、いつまで続くかわからないから面白いんじゃないの?」と一蹴する。なぜなら、市郎は阪神・淡路大震災で自分と娘の純子(河合優実)が命を落とすという、いわば人生の最終回を知ってしまったから。結末を知っている人生がどれほど寂しく、そして希望のないことかを痛感している。そんな市郎が「最終回が決まってないなんてさ、最高じゃん。俺に言わせりゃ最高だよ」と目を少し赤くしながら力説する姿に胸が詰まる。

 たしかに、何事もキレイにまとまったラストが望ましい。でも、現実はなかなかそうはいかない。人の死は、理不尽に、無慈悲に、突然やってくる。だからといって、その人生が台無しだったかといったら、そんなことはない。そして、“そのとき”がいつどんな形でやってくるのかを知らないからこそ、いつか必ず終わりがくることを理解していても、絶望せずにギリギリまで人生を楽しむことができるというものだ。

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