実写版『アラジン』ジャスミンがアニメ版から大きく変化 「スピーチレス」から溢れる決意

『アラジン』ジャスミンがアニメ版から変化

 3月1日、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で2019年に公開されたディズニー実写版『アラジン』が放送される。本作は2015年の『シンデレラ』、2017年の『美女と野獣』につづく、ディズニー名作長編アニメ映画の実写化シリーズの1つ。ウィル・スミスがジーニー役を務め、そのインパクトから「青いウィル・スミス」が大いに話題になった作品だ。

 これらの実写化シリーズは、アニメ映画が制作された時代から現代への変化を取り入れ、ストーリーやキャラクターに改変が加えられることでも度々注目を浴びている。実写化での改変は批判されることも少なくないが、『アラジン』はそれが成功した1つの例と言えるだろう。ここでは本作の大きな改変ポイントであるジャスミンに焦点を当てて、解説していこう。

アニメ版との比較で見えてくるジャスミンの現代性

 実写版『アラジン』は1992年に公開されたアニメ版をもとに、現代風にアレンジを加えたものになっている。そのなかでもっとも大きな改変があったのが、ジャスミンのキャラクター像だ。アニメ版ではアラジンの“相手役”でしかなかった彼女だが、実写版では“もう1人の主人公”という立ち位置になった。

 アニメ版公開当時、「ディズニー・ルネサンス」とも呼ばれる黄金期にあったディズニーは、女性の社会的地位向上を求める世間の声のなか、これまでのプリンセス像を批判されていた。『白雪姫』(1937年)や『シンデレラ』(1950年)、『眠れる森の美女』(1959年)などのプリンセスは、特にこれといって主体的に行動するわけではない。そして相手に見初められるかたちでの「王子様との結婚」が女性にとってハッピーエンドとする風潮を生み出している、と言われていたのだ。

 そんななか、なんとか現代的なプリンセス像を生み出そうと、『リトル・マーメイド』(1989年)のアリエル、『美女と野獣』(1991年)のベルなどは、より自分の意志を強く持つ女性として描かれるようになった。ジャスミンもその流れを汲み、衣装にパンツスタイルを取り入れるなどの工夫が凝らされている。しかしこれらの“新しい”プリンセスにとっても、「王子様との結婚」がハッピーエンドであることには変わりがなかった。これは、1995年の『ポカホンタス』が打ち破るまでつづくことになる。

 アニメ版のジャスミンは、3日後に迫る誕生日までに、どこかの王子と結婚するよう父である王から迫られている。しかし彼女が望むのは「愛のある結婚」だ。これを見ると、当時、自立した女性としてプリンセスを描くことを求められていたディズニーが、どうしても「結婚」や「真実の愛」が女性の幸せであるという考えから抜け出せずにいたのがよくわかる。

 一方、実写版のジャスミン(ナオミ・スコット)は、父王サルタン(ナヴィド・ネガーバン)から結婚を急かされているのは同じだが、自らが国の政治に関わることを望んでいる。その望みを叶えることが最優先の彼女にとって、「結婚」はどうでもよく、どんな相手と、ということすらも考えていない。のちに彼女はアラジン(メナ・マスード)と結婚するが、それは結果的にそうなっただけであって、彼女が強く、またそれだけを望んだわけではなかった。

 結婚に至るまでの経緯もアニメ版から改変が加えられ、より一層ジャスミンが成し遂げたことに焦点が当てられている。また実写版のジャスミンが国政に関わり、民の暮らしを良くしたいと考えているのに対し、アニメ版のジャスミンは、国のことや民のことについてはなにも考えていない。ただ「愛のある結婚」を求めているだけだ。そこにタイミングよくアラジンが現れ、恋に落ちた。と言っては意地悪すぎるだろうか。アニメ版でジャスミンが変装してアグラバーの町へくり出したときも、彼女はただ好奇心に突き動かされていた。実写版では、彼女はそこでリアルな民の暮らしを目撃し、さらに政治への関心を高めている。

 実写版の『アラジン』は、こうしたジャスミンの政治への関心という現代的な要素を描くために、ストーリーにも政治的な要素が加えられた。ジャスミンは地理や政治についてよく勉強しており、突然現れた、聞いたこともない「アバブアという国のアリ王子」に不信感を持つ。アラジンはジーニーの魔法でこれに対処するが、アニメ版では、なんだかよくわからないうちに彼に丸め込まれている。さらに実写版では、ジャファー(マーワン・ケンザリ)は他国、しかもジャスミンの母の祖国に侵略戦争をけしかけようとする。

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