『ブギウギ』最終幕への“大スター”になる布石が随所に 小夜の旅立ちが意味するもの

『ブギウギ』最終回への布石が随所に

 福来スズ子(趣里)のモデルである笠置シヅ子は“スヰングの女王”であり、インパクトの強い「東京ブギウギ」「買い物ブギー」などのヒット曲をもつ“歌手”のイメージだが、俳優としても活動していた。

 音楽が専門だが俳優業も行っている多才な人は今で言うと、星野源やユースケ・サンタマリアみたいな感じであろうか。女性だと前田敦子や薬師丸ひろ子か。

 あるいは、今でもあるが、とりわけ昭和の時代は、人気アイドルがバラエティに出て、芸人の胸を借りて、思い切りおもしろいことをする姿がよくテレビで放送されていた。ドリフターズと一緒にキャンディーズや桜田淳子が出てコントをやっていた。

 ミュージシャンや歌手が芝居やコントも巧みにできるわけは、リズム感の良さで、芝居の間をとることがうまかったり、バンド活動などでセッション慣れしているから、お芝居における関係性の作り方への勘所がいいから、という説がある。

左から、福来スズ子(趣里)、棚橋健二(生瀬勝久)。 タナケンの稽古場にて。初めての芝居に取り組むスズ子。

 NHK連続テレビ小説『ブギウギ』第16週「ワテはワテだす」では、スズ子が喜劇王・タナケン(生瀬勝久)の舞台に参加することになるが、本人はお芝居に気が乗らないし、実際やってみると、スズ子は間がズレていて、共演者たちからやりづらいとストレスを感じさせてしまう。タナケンも何も言ってくれないし、困惑するスズ子だったが、開き直って、自分らしく大阪弁で返したら、ようやくタナケンが認めてくれた。

 「僕を誰だと思っているんだい。喜劇王タナケンだよ。幕が上がりゃあ舞台は役者のものだ。玄人も素人も関係ない。好きにやればいい。何をやっても僕が全部受けてあげるよ」というタナケンのセリフがカッコよく、スズ子も愛助(水上恒司)もシビれた。このセリフ、実在した喜劇王・エノケンこと榎本健一が似た感じのことを言っている記録がある。

 笠置シヅ子の評伝『ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど』(砂古口早苗著)に、榎本健一を偲ぶ会発行『喜劇王 エノケンを偲ぶ』からの引用で、歌手で役者ではないから、芝居のツボが外れていると指摘したうえで、「しかしそれがまた面白い効果を出しているので、改める必要はない。僕はどんなにツボをはずしても、どこからでも受けてやるから、どこからでもはずしたまま突っ込んで来い」という一文だ。

 モデルと公言せずとも、完全にエノケンの言葉を頂いていることはさておき、エノケンもタナケンも、予定調和ではないものを面白さと考えているわけだ。ただ、現存している笠置シヅ子とエノケンの共演作や、笠置の出演映画を観ると、リズム感がよく、軽快で、動きも活発だが、歌劇団で鍛えただけあるのか、どこか柔らかさもあって、とても心地よい。単純に調和を破壊していたら大スターにはなれないよなあと感じる才が笠置にはある。

 笠置は「女エノケン」と呼ばれてもいたそうだ。エノケン的には自分と同じ人は不要であろう。自分を燃やしてくれる拮抗する能力のある人物として笠置のような人が必要だったのではないだろうか(知らんけど)。

左から、福来スズ子(趣里)、棚橋健二(生瀬勝久)。 タナケンの稽古場にて。思い切ったスズ子の行動に反応するタナケン。

 さて、『ブギウギ』では、スズ子は新人のような初々しさで、圧倒的な大物・タナケンに、教えない教えを授かる。こうしたらいいとは一切言わず、自分の力で、最も自分が生き生きできる方法を発見するという方法論は、出会った頃の羽鳥(草彅剛)と同じである。羽鳥もスズ子に、なんか違うと言うだけで具体的には指示をせず、スズ子の中で自然に沸いてくるものを待っていた。そうやって感情を爆発させたことによって名曲「ラッパと娘」が生まれたのだ。スズ子は今回、タナケンと出会って、羽鳥と出会った頃の初心に返ったと言っていい。

 マネージャーの山下(近藤芳正)も、スズ子の佇まいには可笑しみがあると感じていた。へんに手を入れず、生まれ持った魅力を最大限に活かすことがスズ子を輝かせる、それに気づきさえすれば、あとはどこまでも飛んでいける。物語としては着々とスズ子が歌手としてブレイクする布石を打っているのを感じる。

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