『呪術廻戦』真人の敗北が意味する“皮肉” アニオリ演出で下された正義の鉄槌も
アニメ『呪術廻戦』「渋谷事変」も大詰め。第1期から虎杖悠仁の心を、私たち視聴者の心を削ってきた真人が遂に戦いに敗れた。2人の“天敵”としての戦いにゲームチェンジャーの東堂葵が参加。アニメだからこそ術式「ブギウギ」を使ったコンビネーションバトルがより映えた演出になっていた第44話。第45話でも再び、彼のアクションシーンで真人に“正義”が下された。
東堂のネックレスに真人が気を取られる例のシーンは、原作では一コマだけであっさりと描かれている。逆にそれが“一瞬”を表現していて素晴らしくもあるのだが、読者としてはあれほどまで残虐を極めてきた真人がもっとボコボコにされてもらわないと気が済まなかった。もちろん、虎杖が真人を追い詰めるシーンの静けさも美しいのだが、やはりフィジカル面でも一旦ボコボコにしてほしいと、漫画を読みながら握りしめた拳の行き場を失って数年。そんな自分にとって、あの東堂による“無量空処”の演出には拍手喝采だった。
高田ちゃんのオリジナルソングも素晴らしく、存在しない記憶として脳に叩き込まれるシークエンス。暗い展開が多い中でいかに東堂の存在が物語の希望となってきたのか、改めて実感させられるものだった。彼の攻撃は真人に直接ダメージを与えないものの、虎杖の黒閃へ紡いだ最高のパフォーマンスを披露して退場していく。そして残された真人と虎杖。真人は魂の本質を掴み、本当の形へと進化するも虎杖に敗北した。それは、彼自身のアイデンティティでもある“呪い”としての敗北を意味するのだった。
真人は「渋谷事変」までの『呪術廻戦』という作品の中で、間違いなく圧倒的なヴィランとして存在感を発揮してきた。彼が恐ろしいのは、術式「無為転変」が一度体に触れられるだけでゲームオーバーになってしまう、その致死性の高さにまずある。自分が殺されたことも知らずに改造される者もいれば、時間差で殺される者、“ストックとして真人の胃の中に保管される者”など被害の形も様々。それだけでなく、真人は自身に術式を施すことで体の形を変え、鋭利な刃物やドリル、翼を生やしたり分身や分裂を生み出したりと、一つの技に対する応用力と戦闘方法をいくらでも生み出していく。戦いながら相手の技を見て学び、実践する様子など成長速度が早い点も油断できず怖い。
言うまでもないが、殺した人間の数も数えきれない。虎杖にとっては吉野順平に始まり、改造人間にされた子供たち、原宿から渋谷間にいた多くの人々など、幾度も命が軽く扱われる瞬間を目の当たりにしている。彼は笑いながら、人を殺す。殺す以上に残虐なのは、その命を粘土のようにこねて遊ぶ、まるで子供のような所業そのものである。彼は無邪気そうに見えるが、しっかりとそこに邪気はある。七海建人や釘崎野薔薇を虎杖の目の前で殺してやろうとする魂胆は、彼がいつだって“最悪”を考えに考えて嫌がらせすることが好きだからだ。そして、そんな彼が「人が人を恐れ、憎む負の感情」から生まれた特級呪霊であることを忘れてはいけない。