トラン・アン・ユン監督が語る、料理をする所作の美しさと長続きする“愛の秘訣”について
1993年の長編デビュー作『青いパパイヤの香り』以来、独自の美意識に貫かれた作品群で世界中のファンに支持される名匠、トラン・アン・ユン監督。前作『エタニティ 永遠の花たちへ』(2017年)に続く待望の最新作『ポトフ 美食家と料理人』は、19世紀フランスを舞台にした料理人と美食家の物語。強い愛情と尊敬に結ばれたふたりの関係性を、ジュリエット・ビノシュとブノワ・マジメルというフランスを代表する名優たちが絶妙に好演。まさしく眼福としか言いようのない多彩な料理の数々、情熱とこだわりに満ちた流麗な調理シーンも、魅力的なドラマと同様にめくるめく映像美で魅せる傑作だ。来日したユン監督に、この作品で伝えたかったこと、大御所俳優たちとの仕事などについて、貴重な話を聞いた。
準備から仕上げまで、たっぷり時間をかけた調理シーン
ーーこの作品は料理そのものを美しく撮るだけでなく、「人が料理をする姿」も非常に魅力的に捉えられていたと思います。監督にとってはそれも重要なポイントでしたか?
トラン・アン・ユン(以下、ユン):おっしゃるとおりです。主演のジュリエット・ビノシュとブノワ・マジメルは、実生活でも料理をまめに作られる方たちで、そのしぐさがとても自然でした。それは私にとって非常にラッキーなことでしたが、劇中では技術的に難しい部分もあったので、現場には料理コンサルタントの方たちがついていてくれました。まず彼らが実際にやり方を見せてくれたあと、ジュリエットたちが美しい所作などを加味しながら実践するというかたちでした。
ーーキャスティングするうえでは、料理上手かどうかも重要だったのでしょうか?
ユン:配役が決まれば俳優たちはそれぞれ勉強してくれるので、事前に料理の腕前を考慮したキャスティングはしませんでした。それよりも私が重要視するのは、存在感です。その俳優が映画のなかで存在感を醸し出せるか、その人間性が映像に定着しうるかという点に重きを置いています。その意味ではジュリエットもブノワも、疑いの余地なく非常に大きな存在感を持つ俳優たちです。とりわけジュリエットは、私が思い描くウージェニー役にぴったりでした。ウージェニーは「私はただ誰かの妻になるだけの女性ではない」という気丈さと、料理人という職業を持って自立して生きる女性の強さを持っています。そんな彼女の人物像と、実生活でも社会活動に熱心で、政治的発言もひるまず発するようなジュリエット自身のキャラクターは絶妙にマッチしていたと思います。それも大きな起用理由でした。
ーー以前、監督はインタビューで「子どものころは母親が台所で料理している姿を見るのが好きで、いつも熱心に眺めていた」と語っていましたが、今回の映画はまさにその記憶を再現しているようにも思いました。
ユン:料理に限らず、私は一所懸命に仕事をしている人を見ているのが好きなんです。デザイナーが洋服を作る姿を見ているのも好きですし、絵を描いている画家の作業を一日じゅう眺めていても飽きません。そのしぐさがとても美しいと感じるんです。この映画では料理人を描いていますが、その仕事には毎分毎秒、数えきれないぐらいの所作が含まれています。私にとってはまったく至福の時でした。
ーー冒頭の流麗かつエネルギッシュな調理シーンは非常に見事でしたが、カメラワークの段取りから、音響・編集などのポスプロまで、相当な手間暇をかけたのでしょうか?
ユン:おっしゃるとおり、準備にも仕上げにも、たっぷり時間をかけました。準備段階ではすぐに俳優をセットには呼ばないんです。まずは助手と一緒に入念に準備をして、これでOKとなったら俳優たちに入ってもらいます。なぜかというと、カメラが回っている最中に私たちが発見したい、感動したいと思うマジカルな瞬間を大切にしたいからです。準備中から俳優にも参加してもらうと、それが雲散霧消してしまう。やっぱり、俳優にはカメラの前でこそ新鮮なものを見せてほしいし、私たちも極力それを捉えたい。最終的には編集でいちばん良い瞬間を選んで構成していくので、観客の皆さんが観ると「完璧に準備した」ように見えるわけです。
ストーリーとヒストリーの呼応
ーーブノワ・マジメル演じる美食家ドダンは「食べる専門」かと思いきや、自らも料理するようになり、めきめき腕を上げていきます。その手際が上達する過程のグラデーションは、綿密に計算されたのでしょうか?
ユン:ドダンの料理スタイルは、ウージェニーとのラブストーリーとともに、フランス料理の歴史とも密接につながっています。演じるブノワ自身はなんでもこなせる器用な人ですが、ドダンは最初はまるで試行錯誤のようにウージェニーのために料理を作ろうとします。この映画の舞台背景である19世紀のフランスは、それまで複雑な工程を必要としたフランス料理をオーギュスト・エスコフィエという料理人が近代的に簡素化し、軽やかなものにした革新的な時代です。ドダンがウージェニーのために作る料理も、近代フランス料理の先駆けといえるものなのです。彼の手料理を通して、旧来のフランス料理の作り方しか知らなかったウージェニーは「ああ、これは新しい」という驚きを覚えます。そんなサプライズを愛する人に与えたかったドダンの心意気を描くシーンでもあるのです。つまり、この映画はストーリーとヒストリーがずっと呼応しているんです。
ーー映画の後半では、ある悲しい出来事から自暴自棄になったドダンの再生の軌跡が描かれますが、それもまた彼が見せる料理の所作に表れている気がしました。現場では監督の細かい演出があったのでしょうか?
ユン:ブノワ・マジメルは経験を積んだ大俳優ですから、私が事細かに指示しなくても、そうしたニュアンスをしっかり表現してくれました。シチュエーションさえ作っておけば、彼は自然に的確な演技を見せてくれます。シナリオに書かれていることを深く読み込んで、それ以上の成果を出してくれる。たとえば、ドダンが意気消沈している場面で、使用人のヴィオレットに「何か食べないといけません」と心配され、拒絶するシーンがあります。そのとき現場でブノワが聞いたんです。「この場面では僕のアップを撮るかい?」と。「いいや、撮らないよ」と伝えると、彼はセリフなしで、非常にシンプルな動作で拒絶のエモーションを表現してみせたんです。そのときのドダンの心境をブノワが見事に理解して、この場面ではこの芝居が最も相応しいと瞬時に判断したのでしょう。
ーーさすがですね。
ユン:ドダンの再生というストーリーにおいて、非常に重要な存在となるのが、ポーリーヌという優れた料理の才能を持った少女です。ウージェニーは彼女を弟子にとり、立派な料理人に育て上げたいという願いを持ちます。なぜかというと、フランス料理というのは非常に高度な技術が必要で、単にレシピを見ただけでは理解できないぐらい複雑です。そうなると、技術の継承ということが非常に大切になってきます。結果的に、ウージェニーの願いはドダンに引き継がれ、彼を再起させることにもなる。ここでもやはり、登場人物たちのドラマと、フランス料理の歴史は呼応しているのです。