『ブギウギ』羽鳥の“悲しさ”を滲ませる草彅剛の名演ぶり 絶望を物語る“抑え目な笑顔”

『ブギウギ』羽鳥の悲しさを滲ませる草彅剛

 朝ドラ『ブギウギ』(NHK総合)のヒロイン・スズ子(趣里)にとっていつだってターニングポイントをもたらしてくれるのが、作曲家・羽鳥善一(草彅剛)だ。

 戦争の影が近づいてくるにつれて、最初はポップでユーモラスなところが目立っていた草彅剛扮する羽鳥だったが、次第に彼自身の中にも静かに戦争の毒が侵食し時折見せるシリアスな演技が光るようになった。

 戦争は純粋に音楽を愛する者たちから様々なものを奪い去っていく。華奢な身体からは想像できないほどステージ上を思い切り縦横無尽に移動し、全身で歌うスズ子。そんなスズ子にとって突然設けられた三尺四方の制限はあまりに窮屈で、“自分らしさ”を封印され“カカシ化”させられてしまう。戦争は卑怯だ。そうやって人々から楽しみを、少しの心の潤いを取り上げて、世の中には“正しさ”が1つしかないかのように錯覚させ、都合の良い目的にのみ意識を向けさせようとする。それに憤り続けてずっと突っぱね続けるには相当なエネルギーが必要になる。誰もがりつ子(菊地凛子)のように自分を持ち続けられない。

左から、福来スズ子(趣里)、羽鳥善一(草彅剛)

 スズ子にとっても羽鳥にとっても生活の中心であり人生で、自分自身の大きな一部である音楽の“正解”を規定され、そこからはみ出てしまう音楽は一切受け入れられないというこの流れは、本当に生きた心地がしないだろう。それでも自分の正気をなんとか保つためには音楽と向き合うしかない。

 「僕は楽しむよ。どんなときもそれは変わらない。トゥリー、トゥ、ワン、ゼロ」と相変わらず口にする羽鳥は、不思議と独りよがりな感じも排他的な印象も与えず、無理をしているようにも見えない。失くしてしまったものを数えるよりも、いま手にしているものの中でも、なんとか自分たちの音楽を作り出すことに全集中したいという本質だけを常に見つめている。

 混乱の世で、人々が実態の伴わない戦意という熱狂の渦に巻き込まれてしまっている中、“本質”がはっきりと見えてしまう人の孤独もそっと草彅は見せてくれる。無理に空元気にするでもなく、そして「楽しもう」と周囲を巻き込み鼓舞するのでもなく、あくまで「僕は楽しむよ」と意思表示する羽鳥。こんな時だからこそ、その制約だらけの中でどう振る舞うのか最終的には周囲の個々人に委ねている。決して強制はしない。

左から、茨田りつ子(菊池凛子)、羽鳥善一(草彅剛)

 ただ、この刻一刻と状況が悪化する中で、人は強くわかりやすく方針を打ち出してくれる存在に安易に頼りたくなってしまうものだ。だからこそ、そんな世にこそ独裁者が蔓延るのだ。

 大阪に帰る決断をするか迷っているスズ子然り。「東京か大阪なんて問題じゃない。君が楽しめる場所で歌えばいいさ」という羽鳥のアドバイスは、どこか無責任で他人事のように聞こえてしまったのかもしれない。羽鳥はいつだってどんなときもあくまで“自分がどうしたいのか”を問う。羽鳥から何かをはっきりとオーダーすることはないのだ。

 そして、梅丸楽劇団の解散が告げられたときにも羽鳥はあえて事もなげに皆に言う。

「またやろう、いつかまたみんなで集まって、誰に文句言われることなく存分に楽器を鳴らそうじゃないか」

 悲しむ間もなく発せられたこの一言は、ともすれば切り替えが早いようにも受け取られかねず、楽団員からは「羽鳥先生にヒラの楽団員の気持ちなんかわからない」と言い返されてしまう。明日もどうなるかわからない状況下で不確実でいつ訪れるかも知れぬ“また”や“いつか”を口にされたって何の気休めにもならないどころか、より一層今の苦境が際立ってしまうと感じたのかもしれない。きっと羽鳥は本気でこの“また”“いつか”を手繰り寄せたいと胸に刻んでいるのだろうが、重々しくなってしまうことは性に合わず避けたいのだろう。

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