『映画ちいかわ』が描いた残酷で美しい世界と展開の謎を考察 不穏な幕切れに抱いた“希望”

SNS上で連載されている短編漫画として、その愛らしいキャラクターたちと、どこか不穏な世界観によって一躍社会現象となった、「ちいかわ」こと、『ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ』。TVアニメシリーズをはじめ多角的なメディア展開を通して、子どもから大人まで幅広い層に、絶大な支持を受けている。
そんな『ちいかわ』初の長編映画『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が公開された。もちろん、圧倒的な知名度と人気から大きな注目を集めており、映画館へ多くの観客を動員する大ヒットを成し遂げている。
しかし、今回の初映画化作品の公開において観客を驚かせ、同時に物議を醸すこととなったのは興行的成功以上に、そこで繰り広げられるドラマの、異様なまでのハードさだった。
これまでのTVシリーズや短編アニメでも、ときに危険な状況や理不尽な試練が描かれて話題を呼ぶことはあったが、劇場版として描かれた、原作漫画の「セイレーン編」の物語は、ひときわ異彩を放つ内容だったのだ。それが、一切の躊躇なく映像化されている。
ここではそんな、かわいらしいキャラクターのアニメーション映画という皮をかぶりながら映し出された、残酷で美しい世界と展開の謎について、できる限り深いところまで考えていきたい。
※本記事では、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』のストーリー展開を明かしています
短尺のTVアニメシリーズでは、近年『【推しの子】』、『夢中さ、きみに。』を手がけている「動画工房」が、『ちいかわ』のアニメーション制作を務めてきた。劇場版となる本作では『光が死んだ夏』の「サイピク」が制作を担当。監督には『ウマ娘 プリティーダービー』シリーズなどを手がけてきた及川啓が名を連ねている。
アニメーションスタジオおよびメインスタッフの変更と聞くと、作風の変化や違和感を懸念する向きもあったかもしれない。しかし実際に完成された映像は、TVシリーズとの自然で強い連続性を感じさせるものがある。この精度の高い“移植”は、「総作画監督」の役割で、ナガノ氏本人がクレジットされている部分も大きいのだろう。すでに広く親しまれている世界観やキャラクターデザインの印象を損なうことのないよう、コントロール不全を防ぐために原作者の目が内部で光っているともいえよう。
そのうえで、本作は劇場作品としてのグレードアップも果たしている。キャラクターたちの細やかな演技、滑らかな口の動き、そして感情の機微を映し出す微妙な表情の移り変わりに至るまで、アニメーションとしての動的な部分は明確に高められている。そのおかげで、絵柄の印象を変えることなく、劇場版ならではの“特別感”をも生み出している。
特別な報酬と美味しい食べ物の噂に惹かれて、ちいかわ、ハチワレ、うさぎたちが訪れることとなった南国の島が、物語の舞台である。風光明媚なロケーションで、一行は島民たちの温かい歓迎を受け、束の間の賑やかで楽しい時間を満喫する。しかし、そんな穏やかな時間は、突如現れた巨大な怪物「セイレーン」の襲撃によって一変する。
ちいかわたちは、ラッコやモモンガらと一緒に、島を脅かすセイレーンと対峙する。しかし、決死の戦いが進むにつれ、この島には単なる討伐クエストにとどまらない不可解な違和感があることに気づき始める。一見ポップで楽しげな冒険劇として幕を開けながらも、物語は次第に、観客の予測を大きく裏切る重厚なサスペンスへと向かっていくのだ。
原作漫画『ちいかわ』は、基本的に短い尺で読者を惹きつけてきたシリーズだ。「セイレーン編」は、いわば「大長編『ドラえもん』」という、日常系ファンタジーをスケールアップさせて長編映画のような尺で楽しめるエンターテインメントに改変するといった前例を基にした、普段よりも大きなテーマを持つエピソードだったように感じられる。
それでは、原作者ナガノ氏が、あらためてテーマに向き合ったときに表出したものは何だったのか。それが、不安や恐怖、突発的な悲劇や、それを止められない個人の無力感などという、人生における過酷で苦しい側面であったように思える。そしてそうした部分こそが、じつは“かわいい作品のスパイス”であることを超えた、原作者の突出した作家性だったということも、ここで明確になったのではないか。
























