『ザ・キラー』ジャンル映画と社会批評を同居させるデヴィッド・フィンチャーのニヒリズム

『ザ・キラー』フィンチャーのニヒリズム

 あらゆるカットから音響設計まで徹底的にコントロールし、時には俳優に100回以上のリテイクを要求する完璧主義者。それでいて繰り返されるテイクの果てに生まれた役者の無意識や、アクシデントからなる即興性もフィルムに残す現場主義。ゆえに30年超におよぶキャリアで作品数は限られ、ついにはハリウッドからNetflixという世界最高のアトリエに籠もったデヴィッド・フィンチャー。作家として望みうる限りの自由を得たように見えるものの、製作費に見合わない結果という理由から『マインドハンター』は打ち切りの憂き目にあった。フィンチャーは仕事の流儀を掲げる殺し屋のストイックさに自身の姿を見出している。全ては準備次第。抜かりなく、徹底して無駄と無駄を省く。それでも現在(いま)を生きる者はシリアルキラーでさえ、資本主義のシステムからは逃れられない。

 『ザ・キラー』にはジャンル映画と社会批評を同居させるフィンチャーのニヒリズムがある。株価1つで作品を切り捨てるNetflixに、フィンチャーもまた囚われているのか? いや、対価に見合った時だけ戦え。人生は短く、道は自分の歩いた後にしかない。ならば最良の仕事のために、今日もまたプロセスと向き合うのだ。それこそが選ばれた1人になる方法だ。『ザ・キラー』において、殺し屋はセットアップの数だけ道具を捨て、何度も何度もスマートフォンを踏みつけてシステムに抵抗する。その心は“I don't give a fuck”だ。

■配信・公開情報
Netflix映画『ザ・キラー』
Netflixにて独占配信中
一部劇場にて公開中
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:マイケル・ファスベンダー、ティルダ・スウィントン

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