『VIVANT』が本当に描きたかったものは“不安定さ”? “1981年”生まれの乃木憂助への共感

『VIVANT』が本当に描きたかったものは?

 9月17日に最終回を迎えるTBS日曜劇場『VIVANT』だが、混沌とした展開が続いており、結末がまったく予想できない。

 本作は、丸菱商事に勤める乃木憂助(堺雅人)が、取引先の会社に誤送金された契約金を取り戻すために、中央アジアにあるバルカ共和国に向かう場面から始まるアドベンチャードラマ。

 砂漠をスーツ姿で歩く乃木の姿を筆頭に、当初はモンゴルロケによるスケール感のある映像と、主演級の人気俳優が一同に介する豪華キャストに注目が集まった『VIVANT』だが、一番の魅力となっているのは、謎が謎を呼ぶストーリーと、その中心に存在する乃木憂助という不安定なキャラクターではないかと思う。

 当初は異国を舞台にした冒険活劇としてのカラーが強かった『VIVANT』だが、乃木の正体が自衛隊の秘密部隊・別班の工作員だと判明して以降、乃木個人の物語に焦点が集まっていく。テロ組織・テントのリーダーのノゴーン・ベキが生き別れとなった父親・乃木卓(役所広司/林遣都)だと知った乃木は、ロシアの反政府組織になりすまして、テントの幹部・ノコル(二宮和也)と接触するが、その場で乃木は別班の仲間たちを射殺し、テントに寝返る。

 ベキの息子であることをDNA鑑定で証明した乃木は、その能力を買われてテントの幹部として資金調達に協力するが、フローライトの鉱脈採掘のためにテントが土地購入を計画していたことをバルカ共和国に漏らした疑惑と、乃木が殺害したはずの別班の工作員たちが実は生きていたことが判明。裏切ったふりをして別班としてテントに接触していたのではないかと疑われた乃木が、日本刀でベキに斬られる場面で、第9話は終わった。

 『VIVANT』のキャッチコピー「敵か味方か、味方か敵か―冒険が始まる。」を最初に読んだ時は、誰が敵で誰が味方かわからない状況に翻弄されていく主人公の物語になるのかと思っていたが、まさか主人公の乃木自身の立場が次々と変わっていき、敵か味方かわからない立場になって物語と視聴者を揺さぶっていくとは予想外だった。

 乃木は一人称の語り手が主人公のミステリー小説に置いて警戒される「信用できない語り手」で、話が進めば進むほど、視聴者は乃木の考えていることや行動理念がわからなくなっていく。

 この予測不能の行動が乃木の中にいる「F」という別人格が勝手に行っていたのなら、多重人格者の物語として飲み込みやすかったのだが、むしろ「F」はベキに会いたいと思っている乃木を止めようとしていた。「F」はイマジナリーフレンドのような乃木にしか見えない対話相手であり、別班を裏切っ(たように見せ)て、テントに近づいた選択は、乃木自身の意志によるものだというのが、『VIVANT』の面白いところだ。

 乃木の不安定さは、視聴者を翻弄して考察させるための作劇上の手法という範疇を超えており、この「不安定さ」こそが、本作が描きたい本当のテーマだったのではないかと感じる。

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