空虚なインフルエンサーの揺らぐ存在意義 『#ミトヤマネ』は“仮面社会”に警鐘を鳴らす

“仮面社会”に警鐘を鳴らす『#ミトヤマネ』

「これからは誰でも一瞬だけ、世界的に有名になることができる」

 一般人と“そうでない人”の境界線とは、何を指すのだろうか。フォロワー数、知名度、才能……これらのさまざまな要素のうち、ひとつだけを取り上げて境界線を示すことは、今日の複雑な時代においては難しい。かつてはテレビの向こうの芸能人たちだけが集めていた注目を、今や実力とチャンスがあれば一般人でも手に入れられるようになったことが、インフルエンサーの台頭によって示された現代の典型である。発信における許可はもはや必要なく、どんな人であってもバズる可能性が広がっている。

#ミトヤマネ

 映画『#ミトヤマネ』がテーマとするのは、まさにこの境界線でもある。主人公の山根ミト(玉城ティナ)は、絶大な人気を誇るカリスマインフルエンサーだ。しかし、とあるアプリとのコラボ案件をきっかけに、ミトはSNSの闇を見ることになる。

 映画の中で、ミトに対して真っ先に感じた違和感は、彼女が武器をもたないインフルエンサーであった点だ。

 インフルエンサーたちは、タレントでもアーティストでもない。彼らの魅力は“親近感”にある。例えば、テレビで観るシェフの料理番組よりも、YouTubeにアップされた料理動画に身近さを感じたり、すっぴんからのフルメイクに「これなら真似できそう」と胸が躍る経験をしたことはないだろうか。手の届きそうな存在でありながら、同時に遠い、日常生活と直結した魅力が彼らの存在感の源となっているのだ。

#ミトヤマネ

 特に現代において脚光を浴びているのは、メイクやダイエットなど、自身の得意分野や技術を活かすインフルエンサーたちだ。一方で、ミト自身はそのような“専門分野”を持たず、演技の腕も劣っていた。皮肉にも、彼女が受けた最終的な評価は、“お騒がせ系インフルエンサー”というものだった。つまり、ミトは視聴者への影響力だけを頼りに成功を収める、極めて特異なインフルエンサーなのである。

 そんなミトの顛末を示していたのは、彼女が大切にしていたミニブタのモモだ。インフルエンサーという職業は最新のトレンドと同様に、瞬く間に入れ変わる。ミトのミニブタであるモモが行方不明になる瞬間は、瞬く間に変わる現代社会の中で、存在が消え去ることの隠喩でもあったのではないか。

映画『#ミトヤマネ』予告編

 「小学校の頃に買ってたハムスターがどっか行っちゃったの」と話す妹のミホ(湯川ひな)に対して「ミホが飼ってたのってカメじゃなかった?」と返すミト。行方不明になったミニブタの居場所はわからぬまま、後の場面で意味深に防犯カメラに映り混んだのはどこかから迷い込んだカメだった。さらに最後のシーンで、ミトが愛でていたのはモモと名付けられたブルドッグ。豚であれ、亀であれ、犬であれ、その動物の種別はそれぞれ重要ではない。要するに、“モモ”の所在は代替可能なものであり、人々の関心もすぐに別の方向へ移る可能性を示唆しているのだろう。

 この「人々の興味や注目が短命であり、いかに曖昧なものであるか」というテーマは、本作で形を変えて語られるテーマでもある。ミホとミトが帰省をしたときに、思い入れがあるような素振りで話し出した近所のおばさんは、姉であるミトの存在すら思い出せなかった。

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