『らんまん』要潤演じる田邊はなぜ魅力的な人物に? 万太郎に感じるわずかな物足りなさ
思えば、田邊の人生は不遇である。聡子に植物学をはじめたのはあなただと認めてもらったものの、世間の認識はそうでもない。あとから現れた天才・万太郎のほうが植物学をどんどん極めていく。つい意地悪して万太郎の活動の邪魔をして、その甲斐あって、キレンゲショウマを日本で初めて日本の雑誌で名付けることに成功したけれど、その前後で、女学校の校長職と帝大教授職を失う。才能や実力とは関係なく、人間関係で決まってしまう立場。田邊は後ろ盾になってもらっていた森有礼(橋本さとし)が暗殺されたため、失脚の憂き目にあったのだ。
そして、後ろ盾合戦に一時期負けていた美作(山本浩司)が再び復活、助教授だった徳永(田中哲司)が留学から帰ってきて田邊に代わって教授になる。
田邊に「わたしも世界を見てきましたよ」と握手する徳永。それがどういう意味であろうとも(徳永の感情をはっきりわからせない演技が巧い)、たとえ田邊が去っても、「旦那様のはじめた学問には続く人がいます」と聡子の言うように、徳永もまたそのひとりであることには違いない。そして、万太郎も。
田邊のモデルの矢田部良吉も失脚している。矢田部はどういう人物だったのか、ネットでざっと検索すると、父親が学者で、勉強する環境は整っていたと見られる。経済的にも困ることはなかっただろう。おそらく、敷かれたレールに乗って学び、東大に入り、着々と研究をしていたのではないか。ただ、対人スキルがなかったようで、それが彼を孤立させたのかもしれない。矢田部に関しては結果的に大成功した、ある意味勝ち組の牧野富太郎より圧倒的に手に入りやすい資料が少なく、彼の内面はわからない(牧野富太郎の内面もたくさん本を読んでもよくわからないのだが)。その断片の隙間を埋め、自由に繋げていった結果、田邊のような魅力的な人物が生まれたのだろう。主人公でない分、自由度も高い。主人公はいやな人として描いたり悲しすぎる目に合わせたりしづらい分、田邊は多少、いやな部分を描いても、逆に、いやな人に見せて、意外にいいところもあるというふうに描くこともやりやすい。田邊のパートは作家の筆が乗っているように感じる。
その分、万太郎が窮屈になっているようにも……。ヤッコソウの名前にちゃんと発見者の少年の名前をつけたり、キレンゲショウマの研究に現地に行きたいけれど、子供たちや妻のことを考えてこれ以上、自由に振る舞えないとためらうような描写があったり。研究熱心でかつ、誰にでも誠実という主人公はなんの問題もなく、むしろすばらしいのに、なんだか少し物足りない。田邊のように、わがままで嫉妬深いけれど、美しいものへの眼差しは深く、自分の信念を貫いて滅びていく人を応援したい。
■放送情報
NHK連続テレビ小説『らんまん』【全130回(全26週)】
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
出演:神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣ほか
作:長田育恵
語り:宮﨑あおい
音楽:阿部海太郎
主題歌:あいみょん
制作統括:松川博敬
プロデューサー:板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出:渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか
写真提供=NHK