飯豊まりえに訪れた“転機” 野島伸司脚本『何曜日に生まれたの』はジャンルレスなドラマに

ジャンルレスな『何曜日に生まれたの』

 “ラブストーリーか、ミステリーか人間ドラマか、社会派か。 決めるのは、あなた”

 『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)や『高校教師』(TBS系)など、世代を超えて語り継がれる名作を世に送り出してきた脚本家・野島伸司。そんな彼が5年ぶりに手がける地上波連ドラ作品のジャンルは、“未定”。何が起こるかわからないミステリアスな雰囲気を携え、『何曜日に生まれたの』(ABCテレビ・テレビ朝日系)がついにスタートした。

 主演を務めるのは、飯豊まりえ。野島とのタッグは今回が3度目で、『アルジャーノンに花束を』(TBS系 ※野島は企画監修)では知的障がい者の兄を持つ妹を、『パパ活』(dTV×FOD)ではパパ活で生活費を稼ぐ女子大生を演じた。いずれも日常に埋もれていく社会の叫びに耳を傾けてきた野島作品らしい役柄といえるだろう。そして、本作で飯豊が演じるのは、父親の丈治(陣内孝則)と二人で暮らす27歳の黒目すい。高校から10年間、自室で社会と隔絶した日々を送る“コモリビト”だ。8月6日放送の第1話では、そんな彼女にある転機が訪れる。

 バイトもしていないすいの生活の基盤となっているのは、漫画家である丈治の収入。しかし、その大事な収入が連載の打ち切りによって途絶えてしまう。代わりに最後のチャンスとして与えられたのが、大ベストセラー作家・公文竜炎(溝端淳平)が書いた原作で、丈治が作画を担当するコラボ企画。生活のためならと企画に前のめりな丈治に公文が出した条件は一つ、娘を主人公のモデルにした鮮烈でピュアなラブストーリーだ。取材と称して公文が半ば強引に他人の家庭に踏み込み、見えてきたのは父と娘の孤立した生活。「膿んでいく」と公文が表現するように、あらゆる脅威から守られた空間であるにもかかわらず、心の傷は癒えることなくむしろ悪化していく。気づいた頃には手遅れだった、ということが世の中にはたくさんある。作品のためとはいえ、そこに躊躇うことなくメスを切り込んだ公文はまるでソーシャルワーカーのようだ。

 本作は“コモリビト”、いわば引きこもり状態にあるすいの再生を描く社会派ドラマなのだろうか。かなり重いテーマではあるが、それを緩和しているのがすいと丈治の不器用で愛おしい親子関係だ。父親以外とのコミュニケーションはないに等しいが、すいは決して他人を拒絶しているわけじゃない。丈治との会話もあり、いきなり家に現れた公文に対しても笑顔を見せる瞬間も。一方で、飯豊が巧みに作り出す、ぎこちない仕草や表情からすいの心の傷を感じ取ることができる。そんなすいを気遣う丈治の「コロナの行動制限があったから、(引きこもり期間は)実質半分」という口癖も印象的だ。そこには娘に対する優しさと、社会に対する言い訳の両方の側面がある。だが、親子関係は至って良好で、お風呂の扉越しに交わされる二人の会話は微笑ましくも感じられた。

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