日本で物議の“Barbenheimer”、北米でなぜ人気? 『バービー』は10億ドル超え目指す

Barbenheimer、北米でなぜ人気?

 「バーベンハイマー(Barbenheimer)」の勢いが止まらない。7月28日~30日の北米映画週末興行収入ランキングは、前週に引き続き、第1位を『バービー』が、第2位を『Oppenheimer(原題)』がキープ。初登場となった、ディズニーの人気アトラクションの実写映画版『ホーンテッドマンション』を抑えた。

 にわかに日本国内(のSNS)で問題視されている「バーベンハイマー」だが、これはもともと、世界的人気を誇る玩具の実写映画化である『バービー』と、“原爆の父”として知られる、原子爆弾の開発に携わった物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いた『Oppenheimer』という対照的な2作品が、北米で7月21日に同時公開されたことをきっかけに盛り上がったムーブメント。物議を醸しているキノコ雲をあしらったファンアートやコラージュは、あとからファンが自発的に制作・拡散してきたもので、両作の公式によるものでも、あるいはコラボレーションでもない。

『バービー』©2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

 そもそも「バーベンハイマー」の背景には、2020年春以降、新型コロナウイルス禍によって映画業界・映画館業界が厳しい状況に置かれ、確実な集客を望める映画がマーベル・DCをはじめとするスーパーヒーロー映画やシリーズ/フランチャイズ作品など、ごく一部のイベントムービーだけになっていたという経緯がある。作家性の強い映画や、大人の観客を対象とする映画は、そのような状況下で興行不振を余儀なくされ、ときには劇場公開を見送られて配信リリースとなっていたのだ。

 しかし『バービー』と『Oppenheimer』は、それぞれグレタ・ガーウィグ、クリストファー・ノーランという人気の映画作家2人の最新作であり、ワーナー・ブラザースとユニバーサル・ピクチャーズがサマーシーズンに全米拡大公開を仕掛ける話題作。『バービー』はフランチャイズ作品だが、オリジナル脚本でこれほどの注目を集める映画が2本同時に公開されることは近年稀にみる事件といっていい。

Oppenheimer | New Trailer

 この同時公開には別の文脈もある。ノーランは『インソムニア』(2002年)以来、ワーナーと20年近いパートナー関係を結んでいたが、前作『TENET テネット』(2020年)の公開後、ワーナーが2021年の公開作品を劇場公開と同日に配信リリースすることを(クリエイターへの通告なく)決定したことに反発してタッグを解消。『Oppenheimer』はユニバーサル・ピクチャーズ配給となったが、古巣だったワーナーは、同作の公開日である7月21日に『バービー』をぶつける方針を決定。かつてのパートナーと露骨に対立する姿勢を取ったのだ。

 すなわち「バーベンハイマー」とは、ワーナーVSユニバーサル&ノーランの真っ向勝負でもあったのだが、これをイベントとして盛り上げたのが現地のジャーナリストと映画ファンだった。2023年春頃から、北米メディアは両作品のタイトルをもじって「バーベンハイマー」として注目し、SNSではファンアートやコラージュがアップされるようになったのだ(この中に少なからず含まれていたのがキノコ雲のイメージだった)。劇場公開直後には、バービーとオッペンハイマーのコスプレをした大勢の観客が劇場に足を運んでいる。

 かくして、2作品の対決は予想外の相乗効果を生んだ。全米脚本家組合(WGA)と全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)のWストライキによって公開直前のプロモーションが叶わなかったにもかかわらず、その盛り上がりは近年屈指。ともに批評家・観客の評価もすこぶる高く、ファンの熱量は上がり続け、SNSでの人気もとどまるところを知らなかった。

 ところが、『バービー』の北米公式Twitterがキノコ雲のファンアートに反応したことから、日本国内で「原爆投下をネタにすべきではない」「原爆投下を肯定するのか」と反発の声があがった。もともと「バーベンハイマー」という造語に何かを茶化したり軽視したりする意味はなかったのだが、少なからぬハッシュタグ運動がそうであるように、参加する人数が増え、運動が動員自体を目的とした途端、本来の文脈や意味づけは曖昧になり、論点の複雑さも単純なフレーズのもとに失われていく。今回の「#NoBarbenheimer」なるハッシュタグも、当初の文脈を押さえることなく、しかし存在しなかった文脈を付与されて広がったものだ。

 「バーベンハイマー」をめぐる問題には数えきれないほどの論点がある。そもそも『Oppenheimer』は日本への原爆投下に焦点をあわせた映画ではなく、ロバート・オッペンハイマー自身の半生を描くもので、人類史上初の核実験「トリニティ実験」も大きく取り上げた作品。その上で、作中における原爆の扱い方や表現、あるいは映画自体の完成度をどのように判断・評価するべきか。この点については、本作がまだ日本公開されていない以上、日本在住者の大半が作品を観ておらず、その上で発言していることを忘れてはならない。

 また、日本国内では広島・長崎への原爆投下をまずイメージするキノコ雲は、第二次世界大戦の終結以降、海外でどのように理解され、国内外でどのような表現に用いられてきたか。ファンアートのキノコ雲が原爆をイメージしていることは間違いないだろうが、厳密に言えばそれは広島・長崎のイメージなのか、それともトリニティ実験のイメージか。キノコ雲をポップなビジュアルで描くことや、そのことに言及することは原爆投下の肯定に直結するのか。その時、少なくとも今回は表面的でない人種差別の問題を絡めるべきかどうか。

 さらに遡るなら、今回の問題は、日本とアメリカにおける第二次世界大戦や原爆投下に対する認識や教育の相違、あるいは戦後日本が戦時中の侵略や占領、敗戦と戦争責任にどう向き合ってきたか、そして原爆投下やキノコ雲のイメージをどのように表現の中で扱ってきたか(時に扱うことを拒んできたか)という問題にも必然的につながる。「キノコ雲をネタ的に扱うのは不謹慎」といったところでとどまってよい議論ではないだろう。

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