2022年のアメリカ映画で最も挑発的な1本 『TAR/ター』は無限に解釈を拡げ続ける

『TAR/ター』は無限に解釈を拡げ続ける

 ホラー演出や、全編に渡って張り巡らされた伏線を解き明かすことに気を取られてしまいがちだが、トッド・フィールドの2006年作『リトル・チルドレン』の主題が変奏されていることに気づくと、『TAR/ター』からはまた新しい音が聞こえてくるだろう。アメリカの郊外住宅地を舞台にした『リトル・チルドレン』は、人生に惑った4人の中年が登場する。ダブル不倫に興じる男女、出所した小児性愛者、少年を誤射の末に殺してしまった元警官。誰1人容易に感情移入できる登場人物ではなく、子供のような彼らの悪あがきは時に苦笑を誘う。フィールドはそんな彼らを裁くことなく、むしろ滑稽なまでの行動に出る彼らの人生を称揚している。劇中、イラク戦争へ出兵した父親が戦死し、その取り残された子供を映すドキュメンタリーが挿入されるのを見逃さないでほしい。モラルから逸脱した主人公たちに社会が懲罰感情を募らせる中、フィールドはアメリカの“間違った戦争”を並列させることで、真にアンモラルな存在とは何かと問いかける。

 アメリカ映画は前年、ミュンヘン五輪テロ事件を描いたスティーヴン・スピルバーグの『ミュンヘン』、赤狩りに抵抗した報道人たちを描くジョージ・クルーニーの『グッドナイト&グッドラック』など、9・11〜イラク戦争下のアメリカを内省する作品が相次ぐ。『リトル・チルドレン』の後、2007年には『ノー・カントリー』と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、2008年に『ダークナイト』とアメリカ映画は社会的なイシューを取り込んでハイコンテクスト化し、それは政治、人種、性あらゆる問題が議論される2010年代後半に向かって複雑化していく。過去を参照し今を批評するのではなく、常に曖昧で入り組んだ現在(いま)を問い続けるところに“現代劇作家”としてのフィールドの真価がある。誰とも知れないシニカルなナレーションが続く『リトル・チルドレン』はこう結ばれている。「過去は変えられないが、未来は変えることができる。一歩踏み出さなくては」。

 指揮とは時間のコントロールだと豪語するターが力を失ったかのように、キャンセル後の彼女を描く『TAR/ター』もそれまでのテンポから転調していく。その最たるものが、呆気にとられてしまうようなラストシーンだ。ベルリン・フィルもジュリアードも失い、家族にも去られたターはベトナムで再びステージに上がっている。指揮を振るのはマーラーでもエルガーでもなくとあるゲームの音楽で、客席にはコスプレーヤーたちがひしめく。果たしてターは生まれ変わったのか? アメリカの実家で本名リンダに戻ったターは、そこで師バーンスタインのパフォーマンスを見て涙する。指揮も、オーケストラも1人ではできず、偉大な芸術は神と他者である聴衆の前に身を投げ出してこそ生まれ得る。日本の観客ならひと目でわかるこのゲームも、独りではできない、複数人でのプレイを主とするオンラインゲームだ。そして『TAR/ター』はトッド・フィールドからケイト・ブランシェットへ、さらには観客である私たちへと無限に解釈を拡げ続ける。映画の終焉が叫ばれる昨今、万人を喜ばせるエンターテインメント作の対極に、観客をすくませ、翻弄し、問いかけ続ける『TAR/ター』という芸術作品が存在する。16年を経て再び表舞台に現れたトッド・フィールドは、またしてもアメリカ映画史に爪痕を残した。

■公開情報
『TAR/ター』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
監督、脚本:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、マーク・ストロング、ジュリアン・グローヴァー
音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
撮影:フロリアン・ホーフマイスター
編集:モニカ・ヴィッリ
配給:ギャガ
アメリカ/2022年/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/159分/字幕翻訳:石田泰子/原題:Tár
©2022 FOCUS FEATURES LLC.
公式サイト:https://gaga.ne.jp/TAR

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる