佐野亜裕美×渡辺あやが作品にかけた思い メディアが抱えるジレンマを描いた『エルピス』

『エルピス』メディアの深刻なジレンマを描く

 『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ・フジテレビ系)のBlu-ray&DVDが5月26日に発売される。発売まであと1週間のタイミングで、本稿では2022年10月から12月にかけて放送され、大きな反響を呼んだ本作の見どころを紹介する。

 このコラムを書くため半年ぶりに本編を見返して、当初視聴したときとの印象の違いに驚いた。冤罪事件の深層に迫りながらこの国の暗部に肉薄し、メディアの病巣をえぐり出す社会派エンターテインメントは、放送時はセンセーショナルさが前面に押し出されていたが、あらためてこの社会に生きる私たちの生のありようを描いた作品であると感じた。

 「エルピス」は、古代ギリシャ語でパンドラの箱に最後に残されたものを指す。開けてはいけないものが私たちの社会にはたくさんあって、不用意に触れるとさまざまな災いがもたらされる。大半の人はその存在を知っても、見て見ぬふりをしてやりすごすのが通常だ。だが、それは正しいことなのか。真実を前にして沈黙することは、一般人ならまだしも、当事者や報道に携わる人々は深刻なジレンマを抱えることになる。

 本作のメインキャラクターは2人。スキャンダルで深夜の情報バラエティに降格したアナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)と、裕福な家庭に育った若手テレビディレクターの岸本拓朗(眞栄田郷敦)だ。ひょんなことから10数年前に起きた連続殺人事件が冤罪であると知った恵那と拓朗は、独自に真相追求を開始する。

 「実在の複数の事件から着想を得たフィクション」の『エルピス』で真実が明かされる過程はとてもスリリングだ。冤罪が生まれる背景にはメディアの印象操作と警察の見込み捜査があり、背後に司法と権力の存在が暗示される。いわれのない罪に問われる可能性を考えるとぞっとするが、現実の世界で冤罪事件は起きている。

 追求する側の恵那たちが、完全無欠で潔白な人間ではないことも重要だ。個人的な事情や組織の利害に翻弄されながら、真実を手繰り寄せようともがく彼らはリアルな人間の顔をさらけ出す。主観的にしか世界を見られない人間が客観的に事実を伝えようとすれば、自身の内なる矛盾と向き合わざるを得ない。それでも進んでいく意志、理不尽に沈黙できない心の叫びが胸を打つ。

 「正しさ」は本作の重要なモチーフだ。劇中で拓朗は「正しいことがしたいなあ」とつぶやく。冤罪を通してプリズムのように可視化されるのはそれぞれの正義だ。自分の言葉を持たなかった恵那は、健やかに生きるために正しさを欲し、拓朗にとってのそれは自らが犯した罪と向き合うことだった。「野心と欲望のバブル世代」を自認する村井(岡部たかし)はジャーナリスト魂から予想外の行動に出る。動機が読めない斎藤(鈴木亮平)さえ自身の信念に従って行動するのだ。

 誰もが生きるために正しくありたいと切望しているのだが、そのことは同時に私たちが正しさから逃れられないことも示唆している。矛盾に満ちているから人は正しさを求めるのかもしれない。本作で提示される正義は良くも悪くも人間の姿をしており、事態の推移とともに揺れ動く。

 メディアの相克を描く『エルピス』がこの社会を映す鏡であるという実感は時を経るほどに強まった。放送後に冤罪事件の再審が相次いで決定したことは、本作が刑事司法の変化をとらえていることを意味していた。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる