【追悼・坂本龍一さん】『戦場のメリークリスマス』から始まった“対話する”映画音楽の歩み

坂本龍一さんの多作な映画音楽の歩み

 オリジナル作品を発表しながら、映画音楽の仕事も数多くこなした坂本龍一。映画音楽を手掛けるミュージシャンは珍しくないが、これほど多作で自身の創作活動と両立させたミュージシャンは珍しい。

 坂本が初めて手掛けたサントラは『戦場のメリークリスマス』(1983年)。大島渚監督から役者として出演依頼を受けた坂本は、音楽をやらせてくれるのなら、という条件を出した。映画が動き出した1982年頃といえばYMOの各メンバーはぞれぞれソロ活動に集中していて、新しい挑戦をするには絶好のタイミングだった。しかも、映画青年だった坂本は、10代の頃から大島作品を観て刺激を受けていた。大島はその場で坂本の申し出を承諾。どんな音楽にするのかは坂本に全面的に任された。映画では西洋と日本の価値観の衝突が描かれていたが、坂本はシンセサイザーを使って東洋の音楽でも西洋の音楽でもない不思議な美しさを持った曲を制作。英国アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、初めての映画音楽は海外でも高い評価を受けた。

 その後、坂本は『子猫物語』(1986年)、『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』(1987年)とタイプの違う作品のサントラを手掛けるが、この時期はシンセサウンドが中心で坂本のオリジナル作品の延長のようなところもあった。坂本が映画音楽の作曲家として覚醒したのはベルナルド・ベルトルッチ監督と出会ってからだ。『ラストエンペラー』(1988年)に役者として出演した坂本は、撮影終了後にベルトルッチから映画音楽もやってほしいと急遽依頼される。しかも、与えられた時間はたった2週間。当初、坂本はこれまでのようにシンセで演奏するつもりだったが、ベルトルッチに却下され、ヨーロッパ風のクラシカルなオーケストラに中国の伝統音楽の要素を加えて、ファシズムの危機が迫り来る中国を表現。本作がグラミー賞の音楽賞を日本人として初めて受賞したことで、坂本は世界的に脚光を集めることになる。

 ベルトルッチとはその後も、『シェルタリング・スカイ』(1991年)、『リトル・ブッダ』(1994年)と続けてサントラを担当したが、音楽には一切口出しをしなかった大島とは反対にベルトルッチは注文が厳しく、その要求に応えるなかで坂本は映画音楽とはどういうものかを学んでいった。当時、ベルトルッチの作品をプロデュースしていたのは、『戦場のメリークリスマス』も手掛けたジェレミー・トーマス。坂本はジェレミーを兄のように頼りにしていたが、『シェルタリング・スカイ』の音楽を聴いたジェレミーが、「スコアリングしているね」と坂本に言ったことが心に残って、映画音楽に対する考え方が変化していったという。

 「スコアリング」とは、映画音楽を作曲する、ということ。坂本は『戦場のメリークリスマス』で初めて映画音楽を手掛けるにあたって、どんなことを心掛けたらいいのかジェレミーに相談したことがあった。その際にジェレミーは「『市民ケーン』を観ろ」とアドバイスしたという。『市民ケーン』のサントラを手掛けたのは、アルフレッド・ヒッチコックとタッグを組んでいたことでも知られるバーナード・ハーマン。音楽を映画の一部として機能させることに長けた巨匠だ。当時、坂本は『市民ケーン』を観ても音楽が好きになれずピンとこなかったが、映画音楽の仕事をするようになってからは作り手側として映画を観るようになり、カメラワークなどを意識するようになったという。映画の見方が変わったことで音楽と映画の関係を改めて考えるようになり、自分なりの作曲術を探求するようになった。それが「スコアリング」に繋がったのだろう。

 90年代に入ると、坂本の映画音楽は生音が中心になっていく。小編成のストリングス・カルテットによる『ハイヒール』(1991年)。オーケストラによる『スネーク・アイズ』(1998年)など、得意とするストリングスアレンジを巧みに使って美しいメロディーを紡ぎ出した。そういった王道ともいえるスタイルの映画音楽を制作するなかで、ひとつの転機になったのが『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』(1999年)だったと、2020年に坂本に取材した際に教えてくれた。ベイコンを敬愛していた坂本は、本作のサントラをノーギャラで引き受けた。そして、監督から、1曲だけピアノ曲を入れてくれれば、あとは自由にやっていい、と言われた坂本は、短期間で自分のソロアルバムのようにサントラを作り上げたという。

「これまではきちんとした映画音楽を作っていたんですけど、この作品からそれが壊れだした。音楽じゃない音もいっぱい入れたんです。おせんべいをかじる音とか(笑)」(※)

 そんな風に坂本はいたずらっぽく笑ったが、本作ではこれまでとは打って変わって実験的なサウンドを展開。同じ年に発表した大島監督の『御法度』(1999年)のサントラも、ピアノとストリングスを中心にしながら、そこにノイズやサウンドエフェクトを加えて緊張感に貫かれたサウンドだった。『トニー滝谷』(2005年)はピアノソロというシンプルなスタイルだが、スクリーンに映像を映し出して、それを見ながら即興で演奏するという手法で制作するなど、この時期、坂本はオリジナル作品と同じように実験的な手法を映画音楽に用いるようになる。そうした新しい方向性のひとつの成果といえるのが『レヴェナント:蘇えりし者』(2016年)だ。

 2000年代以降、オリジナル作品でコラボレートしてきたドイツのミュージシャン、アルヴァ・ノトと共同制作した本作で坂本が目指したのは、自然音と音楽の境界にあるようなサントラ。それは監督のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの意向でもあった。坂本はオリジナル作『out of noise』(2009年)で素材として使ったグリーンランドで野外録音した音源など、楽器以外の音を使用。ピアノは普通には弾かず、弦を撫でたり、叩いたりして音を出した。そういった効果音的な音に、チェロやシンセの音を加えて緻密にサウンドを作りこむ。そうすることで、映画で圧倒的な迫力で描かれる大自然の存在感を際立たせた。

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