『バビロン』で露呈したデイミアン・チャゼル監督の欠点 “ハリウッド”のおそろしい魔力

『バビロン』“盛大な失敗”の理由を解説

 『ラ・ラ・ランド』(2016年)で、映画界を含めたロサンゼルスのショービズ界の光と影を、ファンタジックに描いたデイミアン・チャゼル監督。この作品でアカデミー賞監督賞を最年少で獲得した彼が、1920年代のハリウッド映画業界を題材に撮りあげた新作が、『バビロン』だ。

 「Roaring 20s(狂騒の20年代)」といわれ、アメリカが好景気に沸き、人々が浮かれ騒いでいた時代の映画業界は、まさに混沌とした魔窟だったといわれる。そして、もともと本作のアイデアは『ラ・ラ・ランド』の前にチャゼル監督自身が温めていたものであるという。つまり、真に挑戦したかった題材はこちらだといえるのだ。そんな、監督の想いがつまった3時間を超える大作『バビロン』の出来はどうだったのか。ここでは、本作の舞台設定の解説を交えながら、本作の出来を率直に評価していきたい。

 最初に指摘しておきたいのは、著名プロデューサーのアーヴィング・タルバーグはじめ、何人もの実在の映画人の名前が登場する本作の内容が、虚実が入り混じった空想的な内容だということだ。これは、本作のアイデアの基となっている、1959年に出版された、スター俳優、一流監督など有名映画人のゴシップを中心に、ハリウッドの内幕が記された書籍『ハリウッド・バビロン』の内容と関係していると考えられる。

 書籍『ハリウッド・バビロン』は、読みものとしては面白く刺激的ではあるものの、その内容は、憶測や都市伝説レベルの話が混じっていて、信用に値するような資料にはなり得ないことが、これまで多くの人々によって指摘されてきた。アメリカでも有数の実験映画監督でもある著者のケネス・アンガーは、ここでは、いまで言うところの「暴露系ユーチューバー」のような存在となったわけで、その個人による放言の信頼性は高いとは言い難い。

 だが同時に、読者たちはそこにこそ妖しい魅力を感じていたことも確かだろう。書籍の内容に妄想や都市伝説が紛れ込んでいたとしても、近年明らかとなったハーヴェイ・ワインスタインの事件を見ても明らかなように、魔窟ハリウッドには、確かにさまざまな腐敗が存在しているはずなのである。銀幕に映った、きらびやかなスターたちの姿の裏には、肥溜めのような腐臭を放つ世界が存在する……そこに、神をも畏れぬ不道徳をきわめた都市「バビロン」を重ね合わせるといった、後ろ暗いロマンこそが『ハリウッド・バビロン』が人を惹きつける理由なのだ。

 だから、本作『バビロン』もまた、実際の1920年代のハリウッドの姿を描いたものというよりは、事実を盛り込みながらも、“こうだったら面白い”という妄想が多く入り込んだ作品になっているということだ。だからこそ本作の後半では、現実から離れた悪夢的な光景が描かれ、終盤では時代設定すら崩壊することになる。

 日本のアニメ映画『映画大好きポンポさん』(2021年)で、「ニャリウッド」という、ハリウッドを思わせながら、ハリウッドとは似て非なる世界が描かれたように、『バビロン』は、チャゼル監督版『ハリウッド・バビロン』であり、チャゼル監督版「ニャリウッド」であるということなのだ。本作が実際の20年代のハリウッドをそのまま再現しようとしたものではないということになってくると、この作品の評価の幅というのは、ある程度限定されてしまうことは否めないのではないか。

 『ハリウッド・バビロン』にも記された、スキャンダラスな映画人の一人に、エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督がいる。アーティストとして傑出した才能を持っていたシュトロハイムは、同時に「本物志向」にこだわった監督でもあり、カリフォルニアのデスヴァレーで猛暑の日に撮影を強行し、死亡事件を引き起こしてしまったというエピソードを持っている。

 シュトロハイム監督は、映画に登場する小道具の多くを、本物で埋め尽くすという手法で作品を撮っていた。豪華な料理やシャンパンなども本物だったため、おそろしい製作費がかかり、撮影所のスタジオは、撮影現場なのか、はたまた豪奢をきわめた乱痴気騒ぎなのか分からない状況になっていたのだという。その放蕩ぶりが仇となり、シュトロハイムは業界から追放される憂き目に遭ってしまう。本作の冒頭で描かれる狂気のパーティーは、まさにそんな狂った行動が見逃されていた時代を象徴する光景として配置されている。

 この異常なパーティーで起こる死亡事件は、やはり『ハリウッド・バビロン』に記された、“ロスコー・アーバックル”についての記述を基にしていると考えられる。当時「ファッティ(太った)・アーバックル」と呼ばれ、日本では「でぶ君」の愛称で親しまれていた、人気コメディ俳優だった彼は、強姦殺人事件の疑いによって、やはりハリウッドから長期間追放されることとなる。その裏には、本作に登場したようなゴシップ記者の存在があったともいわれる。

 その後、アーバックルは裁判で無実となったが、出回ってしまった悪評によって、俳優としての復帰は叶わなかった。そんなアーバックルの悪評を、後年さらに強調してしまったのが、当時のタブロイド誌の記事を基に、面白おかしく事件を“演出”した『ハリウッド・バビロン』だったというわけだ。

 事件の真相は全て定かになっているわけではないが、本作が“映画愛”の素晴らしさを主張するのであれば、裁判で無実となったアーバックルの、悪評の基となった噂を、映画のストーリーに利用するという点について、もう少し考えを巡らせても良かったのではないかとは思う。そういう点も含めて、本作は『ハリウッド・バビロン』的な映画だということなのだ。もちろん、そこで死に至った俳優のエピソードを軽快なタッチで面白がってしまうという姿勢そのものにも、首をかしげるところがある。

 1930年代アメリカでは、政府による検閲を回避するため、「ヘイズ・コード」という、映画製作側からの自主規制が設けられた。本作は、そのような秩序によって、“健全化”される前の時代の、めちゃくちゃな状況を、下世話な趣味とロマンを混在させたかたちで描いていくという試みがなされている。そして、ハリウッドが無声映画から、その後の映画の主流となる、音声が追加された映画「トーキー」に移り変わっていく時代に、人気が下降していったとされるスター俳優ジョン・ギルバートはじめ、複数の実在の映画人の要素を、現在の俳優に演じさせている。

 蠱惑的な魅力を振りまいていた大スター、グレタ・ガルボや、その逆に、身近な場所にいそうな親しみやすさで人気を集めたクララ・ボウ、中国系俳優のハリウッドでの草分けとなったアンナ・メイ・ウォンなど、20年代の俳優のイメージが、それぞれの登場人物に反映されているのである。そこには、画期的な作品として本作に登場する『ジャズ・シンガー』(1927年)にも見られる「ブラックフェイス」問題も含まれている。ここでは、ハリウッドでの当時の多様性の受容が、同時に、さまざまな差別が含まれた“欲望の視線”に応えるものであったことが暗示しているといえるだろう。

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