『ちむどんどん』亡き賢三がなにより望んだ家族の食卓が再び 暢子の船が最後の航海に出る
『ちむどんどん』(NHK総合)の最終週がついに幕を開けた。やんばるの豊かな自然に囲まれた暢子(黒島結菜)の生活が再び始まってから早1年。暢子は畑仕事に精を出し、ほぼ自給自足の暮らしを送っていた。
同級生におてんばをからかわれて“わじわじ”した日も、東京からの転校生に“ちむどんどん”した日も、家族みんなで囲んだ食卓。やがて暢子たち兄妹はそれぞれの幸せを求めてその場所を巣立っていったが、沖縄返還の年から12年後。暢子が和彦(宮沢氷魚)と息子の健彦(三田一颯)を連れて故郷に帰ってきてから、家族はまた度々食卓を囲むようになった。
無事に結婚した歌子(上白石萌歌)と智(前田公輝)。それから良子(川口春奈)、博夫(山田裕貴)、晴海(新井琉月)も集まり、たくさんの「いただきます」の声があの頃のように呼応し合う。
大好きな人と美味しいものを食べている時の笑顔。暢子が共同売店で子どもたちの帰りを待ち、縁側では和彦が三線を弾く。その佇まいもかつての優子(仲間由紀恵)と賢三(大森南朋)の姿に重なり、いくら時代が移ろいでいこうとも変わらないものがあることに気づかされる。
そして、そんな何気ない幸せに満ちた日々こそ、亡き賢三がなにより望んだものなのだろう。やんばる地域では、戦前から出稼ぎで大工修行に出たことのある人が多く、賢三もその一人。何十年経った今も暢子たちの暮らしを守り続けている家もまた、賢三が一人で建てたものだった。
「お願いしたいことと、謝らないといけないことがあるわけさ」
そう言って、いつも空に何かを祈っていた賢三。戦争で亡くなった人たちに、自分だけが生き残ってしまったことを謝罪しながら。そして、もう二度と理不尽に奪われることのない家族との幸せを願いながら、少しずつ家族の住処をかたちづくっていたのかもしれない。彼は今この場所にいないけれど、紆余曲折を経て自分なりの幸せを手に入れた子どもたちをきっと写真の中からあの優しい笑顔で見つめていることだろう。
そんな賢三が残してくれた家で、暢子は新たな夢を描く。それは、地元野菜を使った郷土料理を提供する食堂を開業することだった。沖縄では昭和55年以降、14歳以下の年少人口が減少に転じる一方、65歳以上の高齢者人口は増加。その中で沖縄戦の体験や、琉球の時代から受け継がれてきた文化の継承が危惧されている。
食文化も同じ。おばぁたちは暢子の作った郷土料理を食べながら「こんな献立はもう、うちらの代で終わってしまうかもしれんね」「こういうの食べられるお店ないしね」と嘆く。そこで、暢子が立ち上がったのだ。