『容疑者Xの献身』“劇場版ムーブメント”の中で生まれた異色作 西谷弘監督の演出が光る
『容疑者Xの献身』という作品は、「テレビドラマの劇場版」と「直木賞受賞小説の映画化」のふたつの側面を有している。福山雅治演じる天才物理学者・湯川学が、大学時代の同期である草薙(北村一輝)とその後輩刑事・内海薫(柴咲コウ)の依頼を受け、不可解な難事件を科学的に証明していくというフジテレビ系の月9ドラマ『ガリレオ』の続きものとして、ドラマ(第1シーズン)のおよそ1年後の2008年に公開された作品だ。
タイトルに「劇場版」や「THE MOVIE」といった決まり文句が付けられるのが、おおよそのテレビドラマの劇場版のルールではあるが、本作にはそれが付けられていない。それどころか、大元の『ガリレオ』の“ガ”の字も含まれないのだから、いかにこの作品が独立性の高い作品であるかということがわかる。こうしたパターンは、以降の『ガリレオ』シリーズの劇場版作品を除けば、同じ東野圭吾原作の『新参者』シリーズの劇場版第2作となった『祈りの幕が下りる時』ぐらいではないだろうか。
また「直木賞」は一般的に、大衆小説に与えられる賞として知られている。同タイミングで発表される芥川賞と比較すれば明瞭なストーリー性があることから映画化との相性も良く、古くは『復習するは我にあり』や『蒲田行進曲』などの日本映画史にその名を刻む名作も誕生しており、2000年以降でも『GO』や『小さいおうち』、『蜜蜂と遠雷』。さらには『月の満ち欠け』と『銀河鉄道の父』が新たに映画化を控えているなど、映画化・映像化された作品をあげていけばきりがない。
2008年当時はまだ、『踊る大捜査線』以降続いていた“劇場版ムーブメント”の真っ只中。否が応でもイロモノ扱いされがちな同系統の作品のなかで、いたってシンプルかつ伝統的な直木賞受賞作という箔が付いた本作は、たしかに異彩を放っていた。ムーブメントを牽引したり、あるいは築き上げたりするタイプの派手な作品ではないにしても、映画として語るべきストーリーと、それにふさわしいだけの演出を用いることさえできれば、いわゆる“スケール”という曖昧さに依拠しなくても映画たらしめることができるのだとまざまざと証明したのである。
それを強く示すのは映画中盤、湯川が同期の天才・石神哲哉(堤真一)が事件に深く関与していることを察した後、彼と共に雪山を登るシーン。ダイナミックで映画スケールの画面を作りやすいこのシチュエーションにおいても、その大部分は猛吹雪によって背景が遮断され、演者の表情に寄せることに重きを置く。そしてようやく開けた雄大な景色が出てきたかと思えば、印象的な台詞こそ出すもののすぐに狭いアパートの居室内にシーンを転じさせる。それはこの映画の根幹が視覚的なもの以上に、東野圭吾が作り出したストーリーにあるのだという原作への敬意とも捉えることができる。