『ベター・コール・ソウル』全ての者が去りゆく ソウル・グッドマンが残した“後悔”の話
『ベター・コール・ソウル』は法廷ドラマとして幕を開けたシーズン1の第1話と呼応するように、合衆国vs.ソウル・グッドマンの公判をクライマックスの場に選ぶ。ソウルはモノクロでもわかるギラギラのスーツに身を包み、自らを弁護する。その後ろにはキムの姿だ。ソウルはなおもハムリン殺害の新事実があるとして、彼女を証人に呼び寄せたのだ。ところが公判が始まると「ウォルター・ホワイトとの出会いは大金を稼ぐチャンスだった」とこれまでの証言を覆す。自分はウォルターのドラッグ帝国に必要不可欠な存在であり、多くの人が命を落とす引き金になったのだと。ハムリンの死を悔い、兄チャールズ・マッギル(マイケル・マッキーン)を自殺に追い込んだことを「一生背負って生きる」と懺悔する。チャックの死は公判となんら関わりのないことだが、ジミーは「罪だ」と言い切る。そしてついには「私はマッギルです。ジミー・マッギル」と自らの名を取り戻すのである。それは常に影響し合ってきたキムが罪を認め、やり直す勇気を持たなければありえなかった行為だ。ここでようやくジミーは「いつか忘れることができる」と目を逸らし続けてきた過去と向き合い、自らの罪と対峙するのである。
物語は在りし日のチャックとジミーの兄弟の会話を映す。「いかなる人も熱意ある弁護を受ける権利がある」と言うチャックの手元には、H・G・ウェルズの小説『タイム・マシン』がある。
刑務所へ護送中の車内で、むくつけきの犯罪者たちがジミーを指して「“ソウルに電話しよう”(Bette Call Saul)だろ?」と言い当てる。ジミーにとってすくみ上がるような瞬間だが、やがて車中の男たちは敬意を込めて「Better Call Saul」と大合唱していく。いつか助けた誰かなのか、はたまたその親しい誰かなのか。相手を問わず、いつだってがむしゃらに、時に無茶で道理をこじ開けるような弁護をしてきたのがソウルであり、ジミーだった。彼の魂には兄チャックからの教えが常にあったのではないか。
そして色あせたモノクロの世界で、ジミーの魂にわずかばかりの火を灯すことができるのはキムを置いて他にいない。2人の煙草は親友であり、時に共犯者であり、同士であり、恋人であった彼らを結びつける絆だ。アルバカーキサーガはキム・ウェクスラーという画期的な登場人物を得て、悪への転落、罪と悔恨の物語に人間の善意を見出した。エピソードタイトルは“Saul Gone”。ソウル・グッドマンは消え、物語の扉は閉じ、“So, all gone”=全ての者は去りゆくのである。
■配信情報
『ベター・コール・ソウル』シーズン6
Netflixにて配信中
©︎Joe Pugliese/AMC/Sony Pictures Television